ご飯を作ると気づくこと

おっす、おら名無し。
最近もっぱら、夕飯をつくることくらいしか、楽しみがないよ。

ところで、一人暮らしして、ご飯を作るようになって、気づいたことがある。
それは、何かに感謝する気持ち。

いきなり、偽善くさくなってあれなんだけど、これは、おらの本心である。

料理を自分で作らないと、料理が目の前にあって、当たり前な感じがしてしまう。
ありがたさに、気づけない。

たとえば、実家にいれば、勝手に朝昼晩と、ご飯の用意がされたりする。
その都度、両親だったり、なんだったりが、あたたかいご飯を並べてくれる。
それが本当は、どれだけありがたいことなのかには、気づけない。
おらは少なくとも、気づけてなかった。

たとえば、コンビニ弁当なら、500円でハンバーグが食べられたりする。
パンも買ってくれば、すぐ食べられる。
そんなインスタントで食をすませると、『このご飯を作ってくれた人に美味しかった!と伝えたい』気持ちには、なかなかなれない。

でもね。
自分で作ると、そうじゃない気持ちになる。
朝昼晩と、自分でご飯の支度をして、食べ終わったら、また自分で片付けて。
そんな料理をしてくれていた、今まで、気づいてなかった、作ってくれてた人に感謝する、ようになる。
おらは、なった。

また、食べ物に、ちゃんと向き合うようになる。
自分で作ったロールキャベツが美味しくできれば、キャベツ農家に感謝し、豚を育ててくれた畜産業の方に感謝する。
もちろん、キャベツそのもの、豚そのものにも、感謝する。
命に感謝する。

って、なんぞ、どこかの宗教みたくなると、アレだけど。
でも、これ、おらの本音。

ご飯を作ると、感謝するようになる。
色んな人の、色んな生き物のおかげで、ご飯が食べられてるんだなって、実感する。

最近、何かに感謝したことないな、と思う人は、ぜひ、自分で料理を作るといい。オススメする。

また、できるなら、誰かに自分で作った料理を食べてもらえたら、なお良いと思う。
食べてくれたその人は、作ったあなたに『ありがとう』『ごちそうさま』『美味しかったよ』と、感謝の言葉をかけてくれるだろう。

そうすれば、今度、自分が食べる側になったときでも、誰かに感謝する気持ちが生まれるはずだ。

そういうシンプルなことに、料理を作ると気づけるのだ。

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子供のころ「日本国憲法前文」を暗記させられた

おらは、小学生のころと、中学生のころの二回、憲法の前文を暗記させられた。

忘れている分もあったけどもw

日本国憲法前文 – Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%89%8D%E6%96%87

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前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

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全力をあげなきゃ、だめってことで。

おらは戦争反対なんだ。

戦争したくて憲法を改正しようと企む、現政権の与党(自公民)には、NOと言いたい。

そして、7月21日は、選挙に行こうぜ!

おらはもう済ませたが、7月21日が都合わるい人は、早めに行こうぜ!

坊主と反省と体罰と高校野球

おっす!おら坊主あたま!

最近なんだか流行っていることを「坊主」の目から眺めてみるよ。

■坊主と反省

先日、あーかーばーの、なんちゃらみなみという人が坊主になった。

あ、坊主というか、女性だから尼さん?

理由はなんでも、お泊まりデートをスクープされたことを「反省」しての、坊主頭(尼頭?)らしい。

坊主頭になった姿をゆーちゅーぶにアップしたんだってね。

そのパフォーマンスなんなのかしらね?

url

でもでも、すぐに坊主頭は隠しちゃって、頭にカツラを被って活動してるらしいけどね!

おらは、なんで坊主頭=反省なのかっていうのが、よくわからない。

あれか、囚人生活するときの坊主頭が「坊主=反省」のイメージなのかな。

おらが坊主頭にしたときも、まわりからの反応は「何かやらかしたの?」って聞かれたわ。

■反省と体罰

話は変わって、反省と体罰の問題について。

大人がしかるときに暴力をふるう「体罰」を、いままでは「愛の鞭」とかなんとか詭弁を使って、正当化してきたのが、いよいよそれっておかしいんじゃね?という時代になってきたのかな。

報道のきっかけは、高校の教師の問題だったが、その後にオリンピックの柔道だとか、オリンピック競技へも波及してきたりして、どこまで行くんだ?っていう状況になってる。

「体罰をどんどんやろうぜ!」って指導していた大阪の橋下某市長も、世間の風向きが変わったのをすぐに感じ取って「体罰はしちゃいかん」ということを言ったりしてね。

あんたが一番先頭を走っていたんじゃなかったっけ?みたいなね。

shidou

マンガ『AKIRA(1)』で、金田ら不良生徒たちを、生徒指導のせんせー(体育教師)がぶん殴るシーンがあるんだけど、こういうのが「指導」だと勘違いしている大人は、いまでも本当にたくさんいるんだな。

で、こうやって「指導」うけた「生徒」たちは、反省するかというと…。

dosukebe

「アゴーッ」「腐れて死んじまえー」「いい気になンじゃねェぞォ アゴォ」ですわ。

反省をうながすのに体罰はなんにも役に立たないっていうのは、AKIRAで1コマでわかっちゃう。

■体罰と高校野球

高校野球でも、体罰はくりかえされてるっていうのは、もはや常識だったと思う。報道されないだけで、みんな知ってた。

みんな知ってて黙ってた。

「それが当たり前」だということで。

そういえば、相撲の世界でも体罰って問題になったよね。

2007年に、力士が部屋を辞めたいとかなんとか言ったことで、親方や先輩力士たちが竹刀などで殴ったりけったりして、あげく死亡させたニュース(時津風部屋力士暴行死事件 – Wikipedia)。

あのとき、相撲を管轄している文科省が動いたわけだけど、その時に相撲の世界だけじゃなくて、学校関係も調査しておけばよかったのにね。

いや、そもそも「いじめや体罰を無くしたい」って、本気で取り組むつもりがなかったんかな。

■高校野球と坊主

高校野球のもう一つの当たり前が「高校球児は坊主である」なんだと思う。

これって、おらはすごく変で、気持ち悪い習慣に思うんだけど、野球少年はなぜか坊主頭が当たり前だよね。

小学生のリーグの頃からそうだし、中学でも高校でも迷わずなぜか坊主頭が推奨されるっていうか。

でも、野球のトップであるプロ野球では、坊主頭を強制されてないところをみると、別に「野球の伝統は坊主である」ってわけじゃなさそうだしな。

これも、なんだか変だなぁ…と。

軍隊や囚人じゃないんだから、丸刈りが原則っていうじゃなくて、好きな髪型でスポーツしてもいいと思うんだよね。

■髪型は自由に。もっと坊主頭に!

おらは、坊主頭が好きだ。

とても楽だし、とても気に入っている。

けども、とかく坊主頭は「マイナスイメージ」をもたれやすい。

上記に書いたような、坊主頭からはじまる一連のイメージも、少なからず影響してるんじゃないかなぁ。

結論は、「自分から選んで、もっと坊主になろうず!」って言いたいだけだったりする。