アップルシード・サーティーン(1)の感想とかなんとか

おっす!オラマンガマニア!

今回は、マンガ『アップルシード・サーティーン(1)』の感想だよ!(※ネタバレ注意)

このマンガは偶然に本屋さんでみかけて購入した。

もともと、士郎正宗がかいてた頃の原作『アップルシード』のファンだったので、この二次的マンガに手がのびた。

また、購入にさいして、「原作を知っている」以外であとおししたのは、鬼頭莫宏の推薦文だ。

すなわち、“「ステキメカ!!」「コンピューターでのモデリングや写真トレスじゃ到達できない世界がココにあります」”の一文が、なかなかよかった。

感想は、たしかに、コンピューターでのモデリングではできない、マンガならではの「線のあたたかさ」を感じることができた。

どことなく、士郎正宗の『ドミニオン C1』を思わせるのも、ポイント高い。

それは、作品全体をとおして、キャラクターが「訛っている」ため、とも言える。

『ドミニオン』は、もともとの設定が兵庫県あたりを舞台としていたので、キャラクターが関西弁をしゃべっても、なんら違和感がなかった。

が、しかし、この『アップルシード・サーティーン』は、舞台はヨーロッパあたりなんで、訛りを強調するのは、原作的にはないのかもしれない。

でもでも、これはこれで、ありだな、と思った。やはり作画の線のあたたかさとマッチしているからなんだと思う。

そして、デュナンのこの顔であるw

CGでは再現できるはずもない、この崩しっぷりには、原作のそれさえも大きく超えている。

表紙のキリッとしたかっこいいデュナンとはまったく違った面が、マンガのなかでは、ちょいちょぉい登場する。

オラはこの顔のデュナンはかなり好きよ。こんなデュナンを書いちゃう作者は、よっぽどぽっちゃり好きなんだと思うしね。

いや、もっというと、ぽっちゃり芸人の柳原可奈子のことを、きっと作者は好きなんだと思う。

オラくらいのぽっちゃり好きには、ピンときたよ!

たとえば、次のコマ。

「気になっちゃう感じ?」なんてセリフを、『アップルシード』の世界でみるとは思わなかったわ。

これはもちろん、柳原可奈子の出生芸である、109の店員さんのモノマネだろう。

 

『柳原可奈子の気になっちゃう感じですか?』という本のタイトルにも使われるくらいに、このセリフはそのまま柳原可奈子をあらわしている。

うむ、この作者さんは、オラのすきなものを好きなんだな!っていう共感が、マンガをより面白く感じさせてるのかもしんない。

あと、小ネタでおもしろかったのは、携帯電話の表現かな。

原作では、デュナンはよく小型の無線をつかって話していたのだけど、この作品では携帯電話が登場している。

しかも、くるくるっと巻き取りできちゃうのが、いまある携帯電話の延長ではない、SFっぽいところかな。

携帯電話だけではなく、携帯端末(ノートPC?)も、くるくるっとまきとりできちゃうようで、持ち運びに便利そうだ。

でも、オラの記憶では、アップルシードの世界って、いわゆる攻殻機動隊の世界でいう「電脳」みたいなのが存在するはずなんだけども…?

ま、すべての人が電脳化手術しているほどではなく、サイボーグの一部が電脳使っているっていうレベルだとすれば、こういうガジェットも残っているよね。

あと、蛇足でいうと、読者を選ぶマンガかもしれない、というのが気になった。

この作品が『アップルシード』に触れるのはじめてだと、主人公のブリアレオスとデュナンの立ち位置というか、生い立ちというか、そういうのが端折られてるので、さっぱりわからないと思う。

そこは少し不親切かもしれないが、いままでアップルシードを知ってる人からすれば、アナザーストーリーとしては十分に楽しめる作品と思う。

特に登場するキャラクターの表情が豊かなのが、とにかく楽しい『アップルシード』なので、そこが好きならオススメよ!

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ペットを死ぬまで飼わない親子の話。タチコマの家出。

おっす!オラかつてペットを飼っていた人!オラんちのぬこは天寿をまっとうしたと思うよ!
「ペットを死ぬまで飼わない」という人(親子)の話を目にしたので、ちょっとメモっておくよ。

きっかけは、オラが生息するWassrでのこんなヒトコトから

昨日綾目と外歩いてて5・6歳の子に話しかけられたんだけど「家にも猫いるよー、小さいの、大きいのもいたけど年とったから放した!」って言ってて、それは死んだのを親が気遣ってそう言ったんだろうと思ったんだけど、本当だったらとか、年とったら捨てるものだって思って育つのもどうなんだろうとか、色々考えてもんやり。私だったら自分の子供には死んだって言う…と思う、けど年にもよるかなぁ。まだわからん。
by Aya@寝飽きた

断耳してないドーベルマンピンシャーの画像(wikipediaより)ここで出てくる「綾目」というのは、Aya@寝飽きたさんが飼われているドーベルマンピンシャーのこと。(※画像はWikipediaより引用)

この文章を読んで、オラは、ビックリした。
文に書かれてる要素は3点。

  1. 子どもの認識:「ペットが年取ったから手放した」
  2. 親の行動A(事実):「ペットが年取ったから手放した」
  3. 親の行動B(想像):「ペットは死んだけど、子どもにペットは年取ったから手放したと嘘をついた」

どれをとっても、ゾッとする話。
この子どもは「ペットは年取って古くなったら買い換えればいいモノ」「可愛くなくなったら捨てていいもの」と思っているんだろう。
まさに親の教育のたまもの。 

上の話を読んで、本当にそういうコトをする人がいるのか、調べてみた。

AllAboutにこんな話がのってた。

先日、犬猫の引き取り業務も行っている部署で働く行政の方から、ちょっとショッキングなことを聞きました。犬や猫の引き取りを依頼する方には、「子供の情操教育が終わったから」と言われる方が少なくないそうなのです。子供の情操教育っていったい何なのでしょうね?
ペットによる子供の情操教育について [小さなペット] All About

こういう親は、「少なくない」らしい。
いらなくなった犬猫は、さくっと処分できる人が「少なくない」ということ。
つまり、先のAya@寝飽きたさんが出会った子どもの家庭では「古くなった犬を処分」している可能性が、「本当にある」、ということ。

Aya@寝飽きたさんの話でオラが思い出したのは、アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の「第12話 タチコマの家出」だった。

ある日タチコマは、ミキちゃんという女の子に出会う。
ミキちゃんは飼っていた犬(ロッキー)がいなくなってしまい、それをタチコマが一緒にさがしてあげる、というエピソード。
ふたりで“海が見える丘公園”へと向かう途中に、こんな話をしはじめる。

第12話 タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM*
ミキ「ロッキーはね、ミキが産まれた時からずっと一緒に暮らしてたの。一緒に遊んだり、一緒にご飯食べたり、一緒のベッドにも寝てたんだよ。」
タ「ふーん。二人は仲良しだったんだね。」
ミキ「うん。」
タ「でもロッキーは何で迷子になったの?いつもミキちゃんと一緒にいたんでしょ?」
ミキ「うん・・・ねえタチコマ。貴方秘密の金魚っていうお話知ってる?」
タ「秘密の金魚?知らない。」
ミキ「私と同じ位の女の子が主人公の物語なの。」
タ「物語?」
ミキ「そう。自分の金魚をどうしても人に見せたがらない女の子のお話で、その子が何で人に金魚を見せたがらないかっていうと、自分のお小遣いで買ったからだって言うの。それでね、周りの大人は、なんて困った子供なんだろうって心配するけど、本当はその金魚はもうとっくに死んじゃってて、その事を周りの大人に気付かれまいとして女の子は金魚を誰にも見せなかったの。」
タ「うーん、よく分からないなあ。だって金魚は死んじゃったんでしょ?だったらまたお小遣いとかで新しくすればいいのに。」
ミキ「駄目よそんなの。死んじゃった金魚はもう帰って来ないんですもの。女の子は金魚が死んだ事で自分が悲しむだろうって大人達に思われたくなかったのよ。だって自分はもう十分悲しんだもの。」

このあと、ふたりで“海が見える丘公園”で、ロッキーのお墓を見つける。
ミキちゃんはこう続ける。

ミキ「私、本当は知ってたんだ。木曜日にナーサリーから帰ってきたらロッキーがいなくなってて、もうずっと前から元気がなかったの。ママ達は、ロッキーは出かけたって言い張るの。でも金曜日も土曜日も、ロッキーを探しに行こうって言ってもパパもママも、ダメだって言った。だからもう、ロッキーは死んじゃってるんだって分かってたけど、探しに行くふりしなきゃミキが、本当の事知ってるんだってパパとママに分かっちゃう…」

もうね、オラはこのシーンは何度みても号泣するんだ。
このブログを書くためにDVD見直したんだけど、まあ、涙ぽろっぽろだわ。
最初に見たときには、2004年の作品だから、うちのぬこも元気だった頃だけども、 それでもぽろぽろ泣いてしまった。

さっきの子どもも、このミキちゃんのように、「本当は飼ってたぬこが死んだけど、知らないフリをしている」、だったら良いのになぁ…。

◆ミキちゃんとタチコマのエピソードは「虚構」であるけど、とてもよい話。また、冒頭の子どもの話は「現実」だけど、とてもゾッとする話。

実は、こういう「なんで古くなった年寄りを殺しちゃダメなの?」って、疑問すら思わない人が多くなってるのかもしれないな、と思う。

また、そうした人たちが、実は政治家のトップになったりしてて「年寄りや弱者は切り捨てる」のがいまの日本だと思う。
大阪市の橋下市長や、東京都の石原都知事の政策なんかは、「老人は死んで」って言ってるのと同じだもの…。

「古いぬこは放した!」と、当たり前のコトとして言い放つ子どもがいるのが、まさに「いまの日本の縮図」なのかもしれない。
また、そういう家族に、『タチコマの家出』をみせても、まるでピンと来ないのかもしれない。

オラは、アニメで描かれた「虚構の話」の方が、ずっと、もっと、理想的な世界だと感じた。血も涙もなく、またゴーストもなく、死という概念を理解できないタチコマでさえ、ミキちゃんの話を聞いてオイルを流すという世界が。