成人式の思い出づくり

おっす!あけまして、おめでとう!

今年もよろしくな!

1月のイベントといえば…そう「成人式」だな。

成人式についておらの思い出を、書いてみようと思うぞ。

☆成人式っていつだっけ?

クエスチョン:成人式は何月何日にやるんだっけ?

これについての「答え」で、ジェネレーションギャップが発生すると思う。

平成10年からは、ハッピーマンデーとかなんとかで、成人式が「固定の日付」じゃなくなっちゃったからな。

それまでは、1月15日が成人式と決まっていたから。

今年、平静28年の場合は、1月11日が、成人の日だけど、来年おなじ日付じゃないっていうね。

おらの頃は、1月15日だったのだよ。

おもえば、随分まえに、成人式をしたのだなぁ…。

☆成人式の思い出

そして、はるか前の、おらの成人式はどんなんだったかというと、これが全く記憶に無い。

そりゃそうだ、行ってないんだもの。

日本の、東京に住んでいたし、その間に入院していて行けなかった、などの肉体的な理由はない。

あるのは、心の理由だけだ。

おらは、人間がきらいだったからな。

だから、その年の年賀状に「今度成人式で会おうね!久しぶりに会えるから楽しみ!」なんて書かれたものをもらっていたけど、成人式はぶっちぎった。

大学の頃だから、ものすごいたくさんの宿題は出ていたので、それを理由に使ったと思う。

でも、本当の「成人式に行かない理由」はそうじゃない、人嫌いだし、自分に自身が無かったんだろうなあ。

☆成人式は思い出づくり

成人式は、一生に一回しかしないので、いわば、思い出になるイベントだ。

このブログを書く前日に、大学のころの友だちと飲み会があり、そこで「成人式もずっと前のことだなぁ」なんて話したのだけど。

おらには、成人式の思い出はないんだよね。

いま思うと、行っておけばよかったな、と思うこともある。

行かなかったことを「後悔」して、すっごく落ち込んだりすることはないけどね。

もし、いま、これから成人式に行こうかどうか悩んでいる人には「行ったほうが良い」とオススメする。

こう、子供の頃に勉強しなかった大人が、『あとで後悔するから、子供のころは勉強しておけ(自分はやってなかったけど)』みたいなもんだな。

普段は着ない、着物を着て、思い出を増やすと、さらに良いと思う。

☆成人式は二十歳でいいの?

もともと成人式の由来は、「男性の元服」だったり「女性の裳着」だったりする。

いまとは違って、どちらも、10代のイベントだった。

それが、時代がすすむにつれて「大人の定義がかわって20歳が成人年齢」とされたから、いまは20歳なのだけど。

おらは、成人年齢を「18歳に切り替えて」いいんじゃないかな、と思う。

法律がかわり、18歳で選挙権が与えられる。

それはすなわち「18歳で、未来をになう大人の権利が与えられた」ということだ。

タイミング的には、高校を卒業するときに、一緒のタイミングで成人式をやってしまうのがいいと思うのだけど。

あ、もし、成人の年齢を引き下げると、酒や煙草もOKということになり、高校生のうちに、酒や煙草をOKになったりして、余計にめんどくさいのかしら。

まあ、でも、選挙権を与える時点で「アナタは大人です」ってことで、いいと思うんだよね。

☆成人してから長いぞ

とにもかくにも、成人式をあげたからが、大人ステージの章にうつるわけで。

そこからの人生は、まだまだ長い。

おらも、年配からみれば青二才だとしても、新成人の人から見れば、すっかりおっさんだ。

いっそ、成人式2回めや、成人式3回めをやってもいいけどね!

そうすれば、おらにも、成人式の思い出の一つや二つできることになるし!

成人の皆さんには、大人ステージにようこそ!だ!

おめでとうございます!

 

広告

水泳と鼻血の思い出

おっす!おら水泳すきっこ!

かつて、中学生のころは、水泳部だったんよ。

いまのように、夏の暑い日に、水泳部だったおらは、鼻血を出したことがあった。

その思い出話。

2391412027_df2feb6d8c_z
By JD Lasica

おらの学校は、屋外プールだったので、水泳をすると日に焼けまくった

水泳部だったので、夏休みは、それこそ朝から夕方近くまで、一日ずっと泳いでいたのだけど。

そうして泳いで帰ったある日、家で休んでいたら、急に鼻血が出た。

それも、めっちゃ出た。

擬音であらわすなら、普段の鼻血が「たらー」だとすると、その時に出た鼻血は「どっろぉー」だった。

いま考えると、それは、熱中症の症状だったのだと思う。

プールに入っていても、一日中、日に焼けていたら、熱中症になるんだわね。

中学生のころだったので、鼻血が出た時には、わりと慌てた。

普段ならティッシュペーパーを鼻の穴につっこんでおけば、すぐに血が止まったのに。

その時には、座って安静にしていても、鼻血はどんどん出るし。

横になっても、喉の奥にあふれてくるくらいに、鼻血が止まらないし。

とにかく、首元やら、身体を冷やしたわ。

熱中症は、甘く見たら、しぬこともあるので、水泳部であっても、マジで注意しようっていう話。

石けんで顔を洗う思い出

おっす!おら、朝から血だるまっこ!

先日、電動カミソリを、洗濯機に入れて壊してしまったからというもの…T字のカミソリを使っているのだけど。

やっぱり、思ったとおりの、予想どおりに、案の定、カミソリ後に血だるまだよ。

いまも、顔を剃ったところ、顔から首にかけてのところが、血がだらだらと流れている。

が、その所作の前には、石けんの泡で、顔を包むのだけど、その顔をみていて、石けんの思い出がよみがえった。

a1380_001287

質問: 石けんで顔を洗った時に、目を開けられる?

おらは、あけられない。

意味不明な質問に思えたかもしれないけど、石けんで、顔を洗うときに、目が開けられる人がいる。

おらの父親は開けられる。おらは開けられない。

まだ、子どもだったころ、父親と一緒にお風呂に入ることがあった。

父親は、石けんの泡立て方は、手の中で石けんをきゅきゅっとまわすようにしながら、綺麗に泡立てるのだが。

それを顔にゴシゴシと塗りたくって、その後、ぱっと目を開けるのだ。

おらには、それが信じられなかった。

目の周りには石けんだらけなのに、それを拭うことなく、目を開ける。

そして、そのまま、ひげを剃る。

おらには、「石けんが目に入ったらしみる」とわかっているから、目が開けられない。

父親が言うには、「石けんの泡が垂れてこなければ、目は痛くない」とのことだが、それが、真似できん。

いや、一度か二度くらいは、そうやって、石けんを顔につけたまま、目を開いたこともあるけども。

これって、男性だけの経験なのかな。

女性も、石けんでゴシゴシ顔を洗って、そのまま目をあけたりすることって、あるのかしら?

ウゴウゴルーガ同窓会の記事を読んで

おっす!おらオタク系おっさん!

ウゴウゴルーガ同窓会の記事を読んで、懐かしくなってのメモ。

懐古厨とも。

そんなエントリー。

いまでも、『伝説の子ども番組』と称される『ウゴウゴルーガ』の同窓会が、ひらかれたそうだ。

そのことが、秋元きつねさんのブログで書かれていた。

Spiky Spoon — ウゴウゴルーガ同窓会
http://spikyspoon.tumblr.com/post/88090905912

ルーガちゃんは、もう、29歳なんですって!

そりゃそうか。

おらは、ウゴウゴルーガをタイムリーに見ていたのが、高校生の頃だったと思うが、そのおらが四十路まじかなんだからな。

って、書いていて、痛すぎるw

ウゴウゴルーガは、ハチャメチャだった。

1992年当時のフジテレビは、かなり好きだった。

ウゴウゴルーガみたいな、ぶっ飛んでる番組を、早朝からスタートさせて。

あげく、早朝に生放送やら、夜に生放送やらをしていて、ひやひやしながら応援していた思い出がある。

小学1年くらいのウゴウゴルーガの二人の発言が、子どもならではの「ドストレートの危なさ」があったり、登場キャラの「狙った危なさ」だったり。

生放送で、ルーシュくんが、NHKのことを「国営放送」とよんで、番組の後半で「不適切な発言でした」とお詫びしていたのも、覚えている。

でてくるキャラクターも、ひとつひとつが、めちゃくちゃのパワーが集まっていたし。

ウゴウゴルーガは、ビデオにもとりだめていたけど、VHSのテープは全部処分しちゃったから…。

手元に残っているのは、予約して買ったDVDくらいのものだ。

しかし、いまのテレビには、「実験番組」を許容する雰囲気があるとは思えないな。

だから、テレビを見ないんだけども。

どのチャンネル見ても、アレなタレントを使って、アレな番組とかするくらいなら、ウゴウゴルーガの再放送でもやってくれないかな。

とか、まさに、懐古厨。

ひとつ屋根の下とソウルイーターノット!

おっす!おらオタク!

ソウルイーターノット!のアニメを見て、思うことがあり、感想をブログで述べたところだけど。

どうもモヤモヤするのがスッキリしない。

何がスッキリしないのか、モヤモヤするのかを、さらにぐつぐつ煮込んだようなエントリーになりそう。

関連:(ネタバレ)ソウルイーターノット!を甘く見てた – Whisky Milk Punch

◆ひとつ屋根の下の思い出

『ソウルイーターノット!』のモヤモヤをするのは、何に似ているのかなぁ、と思っていたら、頭に浮かんだのは『ひとつ屋根の下』だった。

おらのトラウマドラマである。

『ひとつ屋根の下』は、酒井法子が、まだ、容疑者として世間をにぎわす前に作られた、1993年のホームドラマだ。

もう、きっと、再放送されることはないと思うが、このドラマが、トラウマだ。

最初、このドラマは、あたたかな家族を扱うドラマのようなフリをしてスタートした。

当時も今も、おらはドラマを全く見ない人なのだが、なんとなく、ひとつ屋根の下は、ひかれて見ることにした。

1、2回見て、わりと面白かったので、家族で見ようかなという気分になった。

そして、家族と一緒に見た回で、それは起きた。

「妹のレイプ」展開が。

地獄だった。

父、母、おら、妹の家族4人が、お茶の間にそろって、妹がレイプされるドラマをみる。

いま思い出しても、モザイクがかかってしまって、はっきりと思い出せない。

が、家族で見たのは、間違いない。

トラウマなので、記憶に蓋がされているようだけど、きっと凍りついたと思う。

おらが感じたのは「そんなドラマだと思ってなかった!」「裏切られた!」という気持ちだったと思う。

そして、その後、ひとつ屋根の下を家族で見ることは、なかった。

◆見る前から、見るドラマ(アニメ)に期待している

ドラマやアニメをみるときには、見る側は「何かを期待して」見はじめる。

展開やあらすじを知らずに、試聴することがほとんどなので、「この先どうなるか」なんてことは、わからないのだけど。

それでも、「何かを期待」している。

えっちな雰囲気をかもし出すドラマ(アニメ)であれば、えっちな展開を期待する。

ぐちゃぐちゃした人間模様をかもし出すなら、そういう展開を期待するし。

連続殺人事件をテーマにしたものならば、たくさんの人物が謎の死を遂げる方が、期待通りの面白い展開なのだし。

逆に、いうと、視聴者の期待にこたえるのは、送り手と受け手の間での「予定調和」といってもよいかもしれない。

『サザエさん』という人気アニメがあり、『ジョジョの奇妙な冒険』という人気アニメがあったとして、それを混ぜることはしない。

『サザエさん』のなかで、『ジョジョの奇妙な冒険』のように、主要キャラが傷つき死んでしまう展開はありえないし。

『ジョジョの奇妙な冒険』なかで、『サザエさん』のような「お魚くわえたどら猫を追いかける」程度の事件しか起きなかったら、期待はずれだ。

そう、視聴者は「勝手に期待」しながら、見ているのだ。

そして、長くみて視聴すればするほど、「期待どおりの展開」であると、よろこんで続きを見るようになるのだ。

◆期待を裏切るソウルイーターノット!とひとつ屋根の下

試聴するかどうかは、「期待感」を視聴者がもつかどうかによる。

おらは、『ひとつ屋根の下』には、ほのぼのホームドラマを「期待」しながら見始めた。

だから、急に殺伐としたレイプの話を打ち込まれた時に、「期待を裏切られた」気がして、ものすごくがっかりした。

送り手としては、「視聴者の予想を裏切る」ことで「期待以上のものを提供しますよ」という計算をしているのだろうけども。

それを受け手が、受け止めきれるかどうかは、別の話だ。

おらには『ひとつ屋根の下』の展開は、受け止めきれなかった。

そして、今回の『ソウルイーターノット!』で浴びせられた、「期待を裏切る展開」は、おらにとっては『ひとつ屋根の下』を思い起こさせるものだった。

おらが『ソウルイーターノット!』で期待していたのは、百合ゆりした、女性キャラがキャッキャウフフしながら楽しむ「学園モノ」であった。

が、そうではなかった。

もっと、殺伐とした「主要キャラでも血を流して死ぬこともある」ような世界の話、だったようだ。

この急展開を「期待どおりの展開」ではなく、「こんなはずじゃなかった!裏切られた展開」として、おらは受けている。

そう自己分析している(大げさ)。

◆物語は最後までみて(という期待)

送り手としては、視聴者の予想を裏切る展開であることは、最初から計算して作っている。

そして、その裏切る展開も含めて面白い話を作りますよ!という意気込みをもっているのだろう。

受け手としては、その物語が面白かったかどうかは、物語を最後までみてから、判断した方がよいのだろう。

また、送り手は、受け手が「最後まで見て判断してくれる」という期待があるのだろう。

けども、だ。

「期待が外れた」ことで、受け手が、受け手をやめる事態が発生する。

おらとしては『ひとつ屋根の下』の展開は、受け止めることはできなかった。

たとえ、おらが見た先の展開が、ものすごく面白くなっていたとしても、おらが見たところまでいうと「面白くなかったドラマ」と判断することになる。

また、いまの『ソウルイーターノット!』でも、受け止めることができなければ、このあとは見ることはないだろうし。

いまの時点で見るのをやめたら、ここから先にめちゃくちゃおもしろい展開があったとしても、おらの評価としては「期待はずれで面白くなかったアニメ」となるのだろう。

さて、おらとしては、このモヤモヤのぐつぐつが、どうなるのかなあ。

結論はいまだ出ず。

蛇足で言うと、この「期待を裏切る展開」を、ラストのラストに持ってきたのが、マンガ『岳 18巻』だったりするのだが。

そして、「この先に救われる展開があるかもしれない」という「淡い期待」すら、読者には残さずに、物語を終えてしまうという、おらのトラウマンガであったりもする。

プラレス3四郎=初めて買ったマンガ

おっす!おら、マンガマニア。

オタク的な娯楽で、アニメ、マンガ、ゲーム、などとあるけれど、おらは圧倒的に「マンガ派」だよ。

そんなおらが、マンガにハマるきっかけとなった作品について、書いておきたいとおもう。

プラレス3四郎

■プラレス3四郎とは?

おらが、一番最初に、お金を出して買ったマンガは『プラレス3四郎』だった。

プラモデル×プロレス×マイコン(いまでいうパソコン)=プラレス、という仮想のホビーを使った、バトルマンガだ。

主人公の3四郎が作ったプラレスラー柔王丸が、さまざまな敵と戦うバトルマンガだ。

おらは、この作品が大好きだ。

■アニメ版と原作のマンガ版の違い

この作品はアニメ化もされており、1983年(昭和58年)の6月から スタートとなっている。

おらが、この作品に入っていったのは、アニメではなくマンガ版からだった。

アニメとマンガの大きな違いの特徴は、柔王丸というロボットの表情が、あるかどうかだ。

マンガの原作には、上の表紙のように、柔王丸はにっこり微笑むこともできるし、バトルで苦しむ表情を浮かべることもある。

しかし、アニメ版では、まったくの、能面で戦っている。

これが、おらには耐えられない違いだったので、アニメ版はほぼ見ていない。

ちなみに、マンガ版は全部で14巻まで発売された。

■プラレス3四郎のマンガの思い出

おらは、プラレス3四郎のマンガ版から入った口だ。

1巻からではなく、なぜか2巻から買った記憶があるのだが、なぜ、このマンガを買ったのかまでは、覚えていない。

2巻の奥付を見ると「昭和58年4月15日」と書いてあるが、実際に発売されたのは、1983年の3月のようだ。

当時のおらには、マンガ雑誌を買う習慣も、また、お金もない小学生だったので、たまたま手にしたマンガだったんだろうと思う。

このマンガの何がよいか?

一つに未来(SF)があり、一つにバトルがあり、もう一つにエロスがあった。

■未来(SF)のワクワク感

2014-05-11 11.05.22

プラモデルをマイコン(パソコン)で動かして戦わせるという設定は、ものすごくワクワク未来(SF)設定だった。

いまのように、パソコンが高性能でもなく、それこそ、ファミコンが登場するより前にスタートした物語である。

おらがマンガ版のプラレスにハマったのが1983年3月で、アニメが同年の6月からのスタートであり、同年の7月にファミコンが登場したのだ。

とても、時代の先を夢見た、設定であったと思う。

■バトルのハラハラ感と敗北感

このマンガは、プラレスという舞台設定のため、さまざまな敵と柔王丸が戦うことになる。

また、対戦方式がトーナメント戦ということもあり、柔王丸と対戦する相手だけではなく、さまざまなキャラクターを見ることになる。

そして、プラモデルを使ったバトルなので、相手のプラレスラーが壊れることもある。

いま思うと、リョナ要素なのか?とも思うが、激しい戦闘の結果、激しく壊れるというところに、なぜがゾクゾクしていたんだと思う。

2014-05-11 10.53.01

強敵と戦ったあとの柔王丸は、常にボロボロであり、手がとれたり、足がとれたり、痛々しい姿になる。

そして、それが、グッとくるのだ!

このボロボロ柔王丸は、まねしてお絵かきしたりした。

■エロスに(*´Д`)ハァハァ

さいごにあげるエロスについては、少年はエロスを求めるものなのである(断言)。

と、言っても、直接的なセクロスシーンなんていうものはない。

2014-05-11 11.03.18

おらが、最初に手にした、この『プラレス3四郎 (2)』では、唯一エロスシーンは、この吹雪今日子さんのパンチラくらいのものだ。

しかし、小学低学年のおらには、これで、もう、どエロスなのである。

(*´Д`)ハァハァなのである。

もうちょっと巻がすすむと、おっぱいシーンが登場したりもするんだぜ!←

ちなみに、この吹雪今日子が作ったプラレスラー桜姫も、これまたエロいのである。

2014-05-11 11.26.49

戦うシーンからして、えろ担当なのがわかる。

ちなみに、この『桜姫』は、Figmaが売っていたりするくらいの人気キャラだったりもする。
41iUMpj1lGL

■プラレス3四郎のよい思い出(3巻はどこへ?)

こうした、要素が組み合わさって、プラレス3四郎は、ぼくの欲しい要素がすべて組み合わさってできていたマンガだ。

いや、逆に、プラレス3四郎から、ぼくの好きな要素が作られたということなのかもしれない。

おらの、深いところの根っこの部分に、このマンガがあるのは確かだ。

2014-05-11 10.26.52

よい思い出は、たまにひっくり返したりするものなのだけど…。

(゚Д゚)アラヤダ机に並べてみたら、3巻が無いぞ??

どこへ行っちゃったのかな(´Д`; )

ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティーボンジャックの感想

おっす!おらファミコン世代!

はじめて触れたゲーム機は、友だちの家にあったファミコン!

親にクリスマスプレゼントでもらったのは『セガ SG-1000 II』!コレジャナイ感!

そんなファミコン世代直撃の映画『ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティーボンジャック』を観てきたよ!

2014-02-28 14.08.34

★ゲームセンターCXとは?

フジテレビの『ゲームセンターCX』という、よゐこの有野課長が、レトロなゲームに挑戦する番組がある。

この映画版では、『マイティーボンジャック』というファミコンのゲームを、2006年に挑戦した様子がメインのパートだった。

すでに、『ゲームセンターCX DVD-BOX4』にも収録されていて、伝説の回として知られている挑戦だ。

が、おらは、それを見逃していた。この映画で初見だった。

★映画を見ようと思ったのは

南海キャンディーズ山里亮太のラジオ『不毛な議論』のゲストに、有野課長が映画の宣伝でやってきたのが、きっかけだ。

山里亮太は、おらと同じく、ファミコンドストレート直撃世代なので、有野課長の挑戦が懐かしく、かつ、眩しくて仕方がない。

そうして熱く語っていた二人の熱にやられて、まんまと映画館まで観に行ってしまったのだ(いいこと)。

しかし、なんていうか、有野課長は、とにかくゲームが下手だ。

下手なのに、番組ではゲームをとことんまでプレイする。

そして、いろんな人の力をかりて、または独力で、なんとかかんとかクリアする。

一方で、クリア失敗もある。

そんなゲームをプレイするだけの番組なのに、ついつい熱くなって、応援して見てしまうのだ。

★1986年という時代

この映画の中には、パートが2つに分かれている。Aパートが有野課長の挑戦だとすると、Bパートは全く別の挑戦があるのだ。

それが、1986年という時代のある中学生(ダイスケ)の物語。

マイティーボンジャックが、ちょうど発売された頃の物語。

そして、それは、おらが、まだ子どもだったころの物語。

1986年当時を思わせる小道具、エピソード、マンガの話など、どれもこれも、おらには懐かしかった。

そして、「あるあるある!」「おらもやったそれ!」となって、みていた。

ダイスケとシンクロしたり、その仲間とのやりとりを、自分もそのうちの一人のような気持ちで見ていた。

2014-02-28 16.19.46

★映画としての面白さ

おらは、映画館でみたのだけど、ラストあたりは、一体感を感じた。

どういう気持か?

「応援したい気持ち」である。

Aパートの有野課長、Bパートのダイスケ、バラバラの話がいつしかシンクロして、一体となっていく。

Aパートの有野課長は、ある場所で、多くのお客さんの前でゲームをすることになるのだけど、そのお客さんたちは、完全に応援することで「一体化」している。

そして、その様子をみている、映画館の人も一緒に「一体化」するのである。

応援する気持ちが「一体化」すると、なんとも言えない、気持ちよさがあらわれてくる。

映画館では、なんとたったの7名という、どんだけ人が来ないんだよ状態であったけど、それでも、「一体化」の気持ちは味わえた。

惜しむらくは、もう少し、多くの人が劇場に足を運んでいたら、さらに大きな「一体感のパワー」を感じたのではないかしら。

★ラストまで目が離せない

この映画は、ラストまで、全く目が離せない。

ただ、ゲームをしている、それだけなのに。

しかし、おらが注目してほしいポイントは、本当にラストのラストの終わりまで、見ていて欲しいところだ。

実は、エンディング曲が流れて、席を立った人が、劇場にはいた。

その人は、見逃しているのである。

あのシーンを。

もったいない。

この映画の面白いところは「一体化」と、もう一つ「どこまでホント?」というのがあるのだ。

Aパートは実話。Bパートは虚構。そうした物語がいつしか、AB混在してきて、どこまで実話で、どこから虚構か、わからなくなる。

それが、エンディングまで目が離せない点なのだ。

★見終わったあとのおらの行動

おらは、駅のホームで、階段をダッシュで駆け上がったよ。

そのくらいの「1986年のころのパワー」を、浴びることができる。

浴びた後は、ゲームをするでもよいし、マンガを読むでもよいし、もっと身体を動かしたくなるかもしれないし、あるいは仕事をする気が起きるかもしれない。

ただのノスタルジックな映画ではなく、それがちゃんと現代の、現実の社会にまで「つながる」一体感を与えてくれる、そんな映画かもしれない。

2014-02-28 16.19.40

生きていくことで、それはゲームオーバーじゃなく、いつでも、何回でも、コンティニューすることができるのだ。

そんな人生ゲームを、誰かが一緒になって応援してくれて、また誰かを応援したくなる、そんな気持ちになる映画なのかもしれない。