猫が分からないと思うなよ?

おっす!おらななし。

さっきTwitterでみた、ぬこの画像と文章を引用。

4749ca9c-cfb9-4dbb-814c-cff6d38e1984 CD456yBWIAAR14F

このぬこの表情がなんとも言えない。

実は、ぬこは「なにをされているのか、理解している」。

ぬこは「飼い主が自分(ぬこ)を蔑んだ」ことを、分かっている。

分かっているからこそ、こういう、なんとも言えない表情をしている。

決して、字が読めないからと言って、何をされているのか「理解できていない」わけではないのだ。

ぬこに限らず、いぬでもそうなのだけど、飼い主が言った「悪口」を、かれらは理解している。

逆に「愛情」であっても、ちゃんと全部分かっているのだ。

だから、「悪口」は、やめてあげて。

その逆に、「ほめること」は、続けてあげて。

これは、赤ちゃんも同じだ。

日本語がまだ喋れない赤ちゃんであっても、親が話していることは、ちゃんと全て分かっているのだ。

単に、言葉が喋れないだけだ。

言葉を操るには、inputとoutputの二つが必要であるが、かれらは、outputができないだけなのだ。

言葉が喋れないからといって、inputとoutput両方できないと思うのは間違いだ。

かれらは、outputができないだけで、inputは、間違いなくできている。

だから、言葉が分からないと思って、犬も猫も赤ちゃんに対して、バカにした言葉を投げかけたら、ダメなのだ。

2015.3.11と2011.3.11のメモ

おっす!おら名無し。

このブログが作られてから、3年と1日がたった。

そして、3.11だ。

なんでもすぐに忘れてしまうおらだけど、3.11の記憶は残っている。

そして、ネットにも当時のおらの様子が残っている。

サービスが終了してしまったwassrのログによると

“これはヤバイわ。おれまたトイレに入ったよ。死ぬかと。”,”2011-03-11 14:52:22″,

と呟いていた。

Twitterには、16時までツイートをしていなくて、ぬこが落ち着いていた様子をツイートしていた。

また、そのときにJUGEMにあげた写メには、おちつきはらっているぬこの様子が残っている。

http://kashiko-mari.jugem.jp/?eid=1401

東京に住んでいたおらには、直接の被害はなかった。

しかし、親戚が福島に住んでいて、原発事故の影響はモロに受けている。

今もだ。

2011.3.11.のおらは、無職だった。

2015.3.11.のおらは、働いていた。

14:46には、全社的にアナウンスが流れて、黙祷をした。

おらは、黙祷をする時に「お願い」はしない。

「祈り」でもない。

1分間の「黙祷」は、長く感じた。

2016.3.11.、来年の今日、何をしているのかわからないが、またこの日記を見返すと思う。

病気でしょ 体弱ってんしょ そういう時こそ…?

うがぁー、なんか、喉だけ痛い。

喉風邪ひいたかもなと。

「風邪」というキーワードで、すぐに脳内再生される音楽がある。

スチャダラパーの♪Kick It, JAWSだ。

風邪を引いた役のアニと、それを聞き上手な役としてのボーズがかけあう歌だ。

でも、聞き上手なはずのボーズが、相手の話を聞かずに、一方的にしゃべりたおす歌なんだけどw

そこで、風邪をひいた時のアドバイスで、こんな歌詞がある。

ねぇ 食ってる メシ ちゃんと オマエ 「いや・・・」
エー? まじで? やばくない? じーまで?
病気でしょ 体弱ってんしょ?
そういう時こそ
大量に食う
基本 これ常識
第一 おれがそれでなおしてるクチ
もうあれよー おれともなるとさー
決まってんの
カゼだと中華屋
行って 店ごと 食っちゃう 食っちゃう
かっつうの かっつうの

聞き上手いわく、病気の時は大量に食う!

この歌が収録されてるアルバム『WILD FANCY ALLIANCE』をはじめて聞いたとき(1993年)は、わりと本気で信じてたよw

そして、いまである。

おらは、喉が痛いので、ある意味「体弱ってんしょ」である。

が、中華屋に行って店ごと食っちゃう、のではなく、空腹をたもつような感じで過ごそうと思っている。

最近のおらは、ミトコンドリア信仰者に近い。

ミトコンドリアは、細胞の中にいて、体を動かす仕組みの根底にある存在だ。

ミトコンドリアに頑張ってもらう方法の一つに、飢餓状態というのがある。

生命の歴史は飢餓との戦いがながかったので、飢餓になるとミトコンドリアも活性化のスイッチがオンになる。

病気になって食欲がなくなるのはあたりまえで、おらは、そこでミトコンドリアのスイッチを入れようと体が反応しているからだと思っている(信じている)。

ペットの犬やねこが、体調不良のときは、水だけ飲んで、じっと耐え忍ぶのにも通じる。

ということで、喉が痛いおらは、ヤクルト1本と薬を飲んで、また寝ようと思う。

ヤクルト1本、80mlで、62kcal。

って、けっこうカロリーあんな!w

WILD FANCY ALLIANCE

WILD FANCY ALLIANCE

posted with amazlet at 13.06.07
スチャダラパー
キューンレコード (1993-02-21)
売り上げランキング: 16,994

150cmライフ。40cmライフ。

たかぎなおこ(著)『150cmライフ。』というコミックエッセイを読みおえた。

背の小さい著者が、地上150cmの高さからみたあれやこれ、感じたりした気持ちをつづったエッセイだ。

おらの身長は177cmだし、女性でもないので、このマンガを読んでいて「あるある」という共感する場面は、正直なところほとんどない。

でも、この本はとても面白かった。

150cmライフ

150cmと、ちょっと小さいだけで、そこで感じる世界は、おらとはだいぶ違うみたいだ。

この本には「胴の長さに憧れる」という話がある。

おらには全く意識したことがないコトだが、150cmの著者には、胴の長い女性が「大人の女性」に見えるのだという。

性別も違うし、身体の大きさも違えば、やっぱり、意識する世界は違うのだな。

本は、自分とは違った世界をみせくれて、気づかせてくれるのが、おもしろい。

◆40cmライフ。

そして、150cmからさらに小さくなった40cmライフ。

40cmライフの住人は、ぬこの目線のことである。

昨日、駅からいつもと違う道を帰ってみたら、一匹のぬこが歩いているのを見つけた。

ぬこは、ゆっくり、ゆっくり、歩いていた。

そのスピードにあわせて、おらも、ゆっくり歩いてみた。

ぬこが見ている目線にあわせて、ちょっとしゃがんでみたりもした。

ぬこは、おらに気づいているようで、でも、足を急がせることもなく、マイペースでテコテコ歩いていた。

人間の作った「アスファルトの道」も歩けば、その横にある草木の生えた「ぬこの道」も歩く。

ぬこの彼が見ている世界は、おらとは、やっぱり違う。

同じ世界に住んでいて、同じような道を歩いているけども、感じている世界はやっぱり違う。

ぬこだけではなく、みんなそれぞれ、同じ世界に住んでいながらも、感じている世界は違うんだな、と。

ぬこ日よりな写真

おっす!オラぬこ飼い主だったことあるよ!

本日、散歩に出たらあちこちにぬこがいた。

合計で9匹もいたのだけど、撮影できたぬこを載せてみるテスト。

ちなみに、撮影するときに一声かけるとぬこたちは「1枚くらいならイイケド」みたいな顔をしてくれる。

ぬこ1

ぬこ2

ぬこ3

ぬこ4

ぬこ5

のらぬこもそうじゃないぬこもカワイイもんだ。

ペットを死ぬまで飼わない親子の話。タチコマの家出。

おっす!オラかつてペットを飼っていた人!オラんちのぬこは天寿をまっとうしたと思うよ!
「ペットを死ぬまで飼わない」という人(親子)の話を目にしたので、ちょっとメモっておくよ。

きっかけは、オラが生息するWassrでのこんなヒトコトから

昨日綾目と外歩いてて5・6歳の子に話しかけられたんだけど「家にも猫いるよー、小さいの、大きいのもいたけど年とったから放した!」って言ってて、それは死んだのを親が気遣ってそう言ったんだろうと思ったんだけど、本当だったらとか、年とったら捨てるものだって思って育つのもどうなんだろうとか、色々考えてもんやり。私だったら自分の子供には死んだって言う…と思う、けど年にもよるかなぁ。まだわからん。
by Aya@寝飽きた

断耳してないドーベルマンピンシャーの画像(wikipediaより)ここで出てくる「綾目」というのは、Aya@寝飽きたさんが飼われているドーベルマンピンシャーのこと。(※画像はWikipediaより引用)

この文章を読んで、オラは、ビックリした。
文に書かれてる要素は3点。

  1. 子どもの認識:「ペットが年取ったから手放した」
  2. 親の行動A(事実):「ペットが年取ったから手放した」
  3. 親の行動B(想像):「ペットは死んだけど、子どもにペットは年取ったから手放したと嘘をついた」

どれをとっても、ゾッとする話。
この子どもは「ペットは年取って古くなったら買い換えればいいモノ」「可愛くなくなったら捨てていいもの」と思っているんだろう。
まさに親の教育のたまもの。 

上の話を読んで、本当にそういうコトをする人がいるのか、調べてみた。

AllAboutにこんな話がのってた。

先日、犬猫の引き取り業務も行っている部署で働く行政の方から、ちょっとショッキングなことを聞きました。犬や猫の引き取りを依頼する方には、「子供の情操教育が終わったから」と言われる方が少なくないそうなのです。子供の情操教育っていったい何なのでしょうね?
ペットによる子供の情操教育について [小さなペット] All About

こういう親は、「少なくない」らしい。
いらなくなった犬猫は、さくっと処分できる人が「少なくない」ということ。
つまり、先のAya@寝飽きたさんが出会った子どもの家庭では「古くなった犬を処分」している可能性が、「本当にある」、ということ。

Aya@寝飽きたさんの話でオラが思い出したのは、アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の「第12話 タチコマの家出」だった。

ある日タチコマは、ミキちゃんという女の子に出会う。
ミキちゃんは飼っていた犬(ロッキー)がいなくなってしまい、それをタチコマが一緒にさがしてあげる、というエピソード。
ふたりで“海が見える丘公園”へと向かう途中に、こんな話をしはじめる。

第12話 タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM*
ミキ「ロッキーはね、ミキが産まれた時からずっと一緒に暮らしてたの。一緒に遊んだり、一緒にご飯食べたり、一緒のベッドにも寝てたんだよ。」
タ「ふーん。二人は仲良しだったんだね。」
ミキ「うん。」
タ「でもロッキーは何で迷子になったの?いつもミキちゃんと一緒にいたんでしょ?」
ミキ「うん・・・ねえタチコマ。貴方秘密の金魚っていうお話知ってる?」
タ「秘密の金魚?知らない。」
ミキ「私と同じ位の女の子が主人公の物語なの。」
タ「物語?」
ミキ「そう。自分の金魚をどうしても人に見せたがらない女の子のお話で、その子が何で人に金魚を見せたがらないかっていうと、自分のお小遣いで買ったからだって言うの。それでね、周りの大人は、なんて困った子供なんだろうって心配するけど、本当はその金魚はもうとっくに死んじゃってて、その事を周りの大人に気付かれまいとして女の子は金魚を誰にも見せなかったの。」
タ「うーん、よく分からないなあ。だって金魚は死んじゃったんでしょ?だったらまたお小遣いとかで新しくすればいいのに。」
ミキ「駄目よそんなの。死んじゃった金魚はもう帰って来ないんですもの。女の子は金魚が死んだ事で自分が悲しむだろうって大人達に思われたくなかったのよ。だって自分はもう十分悲しんだもの。」

このあと、ふたりで“海が見える丘公園”で、ロッキーのお墓を見つける。
ミキちゃんはこう続ける。

ミキ「私、本当は知ってたんだ。木曜日にナーサリーから帰ってきたらロッキーがいなくなってて、もうずっと前から元気がなかったの。ママ達は、ロッキーは出かけたって言い張るの。でも金曜日も土曜日も、ロッキーを探しに行こうって言ってもパパもママも、ダメだって言った。だからもう、ロッキーは死んじゃってるんだって分かってたけど、探しに行くふりしなきゃミキが、本当の事知ってるんだってパパとママに分かっちゃう…」

もうね、オラはこのシーンは何度みても号泣するんだ。
このブログを書くためにDVD見直したんだけど、まあ、涙ぽろっぽろだわ。
最初に見たときには、2004年の作品だから、うちのぬこも元気だった頃だけども、 それでもぽろぽろ泣いてしまった。

さっきの子どもも、このミキちゃんのように、「本当は飼ってたぬこが死んだけど、知らないフリをしている」、だったら良いのになぁ…。

◆ミキちゃんとタチコマのエピソードは「虚構」であるけど、とてもよい話。また、冒頭の子どもの話は「現実」だけど、とてもゾッとする話。

実は、こういう「なんで古くなった年寄りを殺しちゃダメなの?」って、疑問すら思わない人が多くなってるのかもしれないな、と思う。

また、そうした人たちが、実は政治家のトップになったりしてて「年寄りや弱者は切り捨てる」のがいまの日本だと思う。
大阪市の橋下市長や、東京都の石原都知事の政策なんかは、「老人は死んで」って言ってるのと同じだもの…。

「古いぬこは放した!」と、当たり前のコトとして言い放つ子どもがいるのが、まさに「いまの日本の縮図」なのかもしれない。
また、そういう家族に、『タチコマの家出』をみせても、まるでピンと来ないのかもしれない。

オラは、アニメで描かれた「虚構の話」の方が、ずっと、もっと、理想的な世界だと感じた。血も涙もなく、またゴーストもなく、死という概念を理解できないタチコマでさえ、ミキちゃんの話を聞いてオイルを流すという世界が。