運転するときの三〜五種の神器

おっす!おらレンタカードライバー!

一人暮らしをはじめてからは、マイカーを売ってしまったので、最近はもっぱらレンタカーだよ。

そんなおらが、運転するときの三〜五種の神器をメモっておくというもの。

三種の神器に絞り込めなかったという。

あと、神器でもなんでもないというのは、先にお断りしておこう。

仙台で運転したレンタカー:ヴィッツ

仙台で運転したレンタカー:ヴィッツ

さて、さっそくだけど、おらが運転するときに、「コレがないと運転がギコチナイ」となるモノをあげてみよう。

  1. ガム
  2. 運転用のサングラス
  3. 飲み物
  4. iPhone(好きな音楽)
  5. 車に関するTシャツ

これだ!

★1:ガム

まず、ガムがないと、はじまらない。

ガムを噛むと集中力が増す(と信じている)ので、眠くなるのも防止できると思って、ガムを噛む。

マイカーだった時にはボトルでガムを用意していたけど、いまは、運転するたびに、何かしらのガムを用意している。

眠くなったら噛むのではなくて、運転するときには、常時噛んでいるのが基本スタイルだ。

★2:運転用のサングラス

おらは目が悪いので、普段メガネをしているのだけど、できれば、運転用のメガネに切り替えたい。

一応、普通のメガネでも運転は可能なのだけど、運転用のメガネはさらに軽くて、鼻周りや耳の部分も柔らかいのだ。

あと、メガネの上に装着するタイプのサングラスをかける。

眩しいのは運転の妨げになるので、シーズン問わずに、サングラスをかけて運転している。

★3:飲み物

運転中は、のどがなんだか乾く。

緊張した運転をするときには、特にのどが乾いてしまう。

その時にすぐに飲み物でのどを潤すことができると、運転中のストレスは減るのだ。

しかし、ここで「缶コーヒー」は、おらには鬼門だ。

お腹がゴロゴロピーしてしまう可能性が高いからだ。

普段、すぐにトイレにいけるところでコーヒーを飲むのなら、まだいいけど。

運転中ですぐにトイレにイケない状態では、死活問題だ。

できれば、水などの、刺激がなにもないものが一番望ましい。

★4:iPhone(好きな音楽)

いまのレンタカーには、USBのメスの端子が付いていることが多い。

そこに、自分の音楽プレーヤーをUSBケーブルで差し込めれば、好きな音楽のもとで、ドライブできるのだ。

そして、音楽の力は偉大だ。

音楽によって、運転のやる気メーターがあがることになり、長距離でも、イケイケノリノリで、イケちゃうのだ。

不思議と。

★5:車に関するTシャツ

これは、もう、まったく、趣味の話なのだけども、おらは、運転するときには好きなTシャツを身につけている。

車にまつわるものなら、なんでもいいのだけど、よく着るのは「マッハゴーゴー」のUTだ。

ある種の、おまじないグッズ的なものかもしれないが、「マッハゴーゴーのシャツ」を着ることで、運転がうまくなるようなイメージで、運転できるのだ。

うんこれ、マインドコントロールだこれ。

別に、シャツなんて何でもよくて、ヱビスビールでも、サッポロビールでも、アルコール関連のシャツでもいいのだけども。

なんとなく、車の絵柄が描かれたモノのシャツなどを着ることが多いかな。

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宮城で見かけたトレノ

◆他:なんとなく

★「ETCカード」って、マイカーを手放しても、なんとなく、更新して持ち続けている。

やっぱり、高速道路などで、ETCのレーンは便利だかね。

でも、この前、仙台の有料道路で、ETC使えないところがあって、「なんでだよ!」って思ったりしたけど。

★「はだし運転」も、本当に運転に慣れてない時にはよくやる。

これは、クツが無い分だけ、ダイレクトにアクセル・ブレーキの感触が足の裏に伝わって、イイ感じ。

長距離運転すると、ちょっと疲れるから、加減が大事だけど。

★まあ、気持よく運転できるならなんでも揃えたらいいんだけども、一番は「疲れている時に運転しない」が「★0の鉄則」ではあるのだけどね。

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アナタは優しい人ですね。と言われた時の返答にこまる。

おっす!おらやさしい悪魔!

悪魔だけど、たまに「アナタは優しいですよね」と言われたりスル。

この時の返答にこまってしまう。

たいていの場合は「そんなことないデス」とか、「全然、やさしくないデス」と答えている。

謙遜なのかというと、そうでもなくて、自分自身で「優しい」と思っていないから。

逆に「ええ、やさしいですよね」と返していたら、それはそれで、どうなのかとも思うけど。

いったい、どうこたえるのが、正解なんだろうか。

Friendly Face / 優しい顔
Masahiko Futami

おらが思うに、「アナタは優しいですね」と、最初に気づく人が、ずっと優しいのではないだろうか。

つまり、おらがやったコト=行為そのものは、どうでもよくて。

『おらがした行為を「優しさ」だと気づける人』が、すなわち優しいのだろうと思う。

ちょっとしたことを、優しいと感じるのは、優しさに敏感だからだ。

たとえば、おらが、Aさんに「ナニか」をしたとする。

おなじ行為の「ナニか」を、Bさんにもしたとする。

その時、Aさんは、おらに「優しいですね」と声をかけてくれた。

一方で、Bさんは、特に何も気づかないようで、声はかけてくれなかった。

すると、どうだろう?

おらの行為が優しいわけではないのがわかる。

この場合、Aさんが優しさに敏感なのか、あるいは、Bさんが優しさに鈍感なのか、ということになるだろう。

ということは、結論として、おらが優しいのではなく、声をかけてくれたAさんが優しかったわけだ。

これからは、「アタナは優しいですね」と声をかけられたら、すかさず「そう思う、アナタの方こそ優しいですね」と答えよう。

うん、きっと、これが正解なんじゃなかろうか。

相手が「安心する」話の聞き方について

おっす!おら、研修が終わってほっとしている人。

研修のときには、「面談」があったりして、長時間おらから先生や上司に、話を聞いてもらうことあった。

その時に、感じた、相手が「安心する」話の聞き方について、メモしておこうとおもう。

Bible, Reading Glasses, Notes and Pen
Paul O’Rear

今回の研修では、おらが面談した「先生」は、いわゆる講師として「教壇に立つだけの先生」ではなくて、心理学やらカウンセリングの資格もあるような「心の先生」でもあった。

この「心の先生」について、面談のたびに『おらの話を、ちゃんと聞いてくれている』と感じていた。

なぜ、そう感じたのか、いくつかポイントがあるのだけど、今回は「話を聞くときのツール」にしぼってみたい。

◆話を聞くときの、紙とペンの使い方

おらが社会人一年目のときに、叩きこまれたのが「メモを取ること」だった。

上司から「ちょっと」と呼ばれた時には、必ず、紙とペンを持って行き、指示されたことをメモするようにと、教わった。

それからというもの、おらのメモ魔は、自分の公私ともにツールとして役立っているのだけど。

今回、「先生」との面談で、感じたのは、「先生のメモの取り方」が、相手(=おら)を安心させるツールとして、一役買っていることだった。

ここで、たとえ話をしよう。

あなたが、病院に行って、医師に診断してもらうときのことを思い浮かべて欲しい。

もし、病院の先生が、全くカルテ(メモ)をとらない人だったとしたら、どう感じるだろう?

患者であるあなたが、一生懸命、病状を説明しているのに、医師が何も書かずに、話を聞いているだけだとしたら…。

きっと、「わたしの話を聞いているのか不安になる」だろう。

そう、医者は、カルテを書くことで、患者に安心感を与えているのだ。

おらが、子供のころに、診断をうけた病院の先生は、ドイツ語でカルテに書き込んでいた。

おらは、子どもながらに、おらが話したことを、すらすらとカルテに書き込む先生の姿を「カッコ良い」と思ったものだ。そして、いま、思い返すと、「自分の読めない外国語ですらすら書くなんて、頭がめちゃめちゃよくて、さらに安心感アップ」と感じていたのだ。

このように、メモをとりながら、相手の話を聞くということは、「忘れてはいけないことをメモしている」という大事な面がある一方で。

逆の立場で言えば、話をしている側からすると、「相手がちゃんと、自分の話を聞いてくれている」という、印象をもつことができるのだ。

◆メモするときは、A4用紙を、1枚使う

メモを取ろうというのは、ある意味で、基本的はことである。

それこそ、社会人一年目に言われることのように、基本中の基本だ。

しかし、おらは、さらに、「相手と話をするときのメモ紙」についても、言及したい。

  1. A4の紙を用意する
  2. まっさらな紙を1枚用意する

この2点が、大事なポイントだと思っている。

1点目は、ある程度の大きな紙が必要であるということ。

もし、メモする紙がないからといって、くちゃくちゃのレシートやら、小さな付箋紙にメモとられたら、どうだろう。

それで、話している方が安心するかといえば、その逆でしかなく、「そんな紙にメモしても、どっか無くしちゃうんじゃ?」と、不安にさせてしまうのだ。

紙は、A4くらいのサイズが、ベストだと思う。

さらに、2点目は、ノートではなく、1枚ずつバラバラになるような、ルーズリーフ、もしくはレポート用紙のように、完全に独立する紙が必要であるということ。

おらは、ノートではなく、この1枚の紙に書くことが「安心感をアップさせるポイント」だと感じた。

つまり、いまから、このまっさらな紙に書くことは、あなたが話したことだけをメモしますよ、というアピールになるのだ。

もし、あなたが複数の人と「真剣な話」をすることがあるのなら、その時は、一冊のノートにAさん、Bさん、Cさんのことを書くのではなく、一人ずつ一枚の別の紙に書くというのが、より安心感を与えると、おらは考える。

カウンセリングやら、病院の先生やら思い浮かべてほしい。

たくさんの人と話をすることになる職業の人は、被験者(あるいは患者さん)の一人ずつのカルテがあり、それに挟めるように、用紙を一人ずつ分ける必要があるわけだけど。

これが、話している側からすると「わかってもらえる」気になるのだ。

「わかってもらえる」を漢字で書くと「分かってもらえる」となり、つまり、自分とそれ以外の人とは「分けて・あなたの事を扱いますよ」というような印象を受けるのだ。

だんだんと、精神論のようになってきたけど、おらは面談中に、この「紙の使い方」は、とてもよい印象だった。

もし、面談の「心の先生」が、一冊のノートにメモしていたとしたら…今回の面談でうけたときの「安心感」は、感じなかったかもしれない。

◆まとめ:聞き手も、受け手も、メモが大事

真剣に話を聞こうと言う時は、聞き手も、受け手も、メモが大事だということである。

さらにレベルアップするなら、そのメモした内容を、話し手に指し示しながら、別の角度の質問を投げかけると、いいだろう。

「この人は、自分の話をちゃんと聞いた上で、さらに自分には見えなかった視点で、物事を捉えている!」と、安心感がアップすること、間違いなしだ。

そして、この、普段メモする習慣があるという「お約束」が、二人の関係性で築いていた場合には、逆に「オフレコ」の話もできるというものだ。

つまり、いま、これから話すことは、メモをしないかわりに、さらに突っ込んだ、深い話ができる、という意味で。

以上、研修をおえて、メモの取り方について感じたことを、忘れないように、メモしてみた。

引用のやり方を再確認・引用にならない無断転載ブログ

おっす!おらブロガー!

自分のことを、ブロガーというのって、ちょっと恥ずかしい気分になるのは、なぜなんだぜ?

それは、ともかく。

あちこちのブログで、「引用による無断転載」のつもりで、実は「引用にならない無断転載」となっているケースを、見かける。

自称ブロガーならば、そのヘンの違いを、分かっていたほうがいいと、おらは思う。

正しく引用して、ブログを書こうよ、というのが、この文の趣旨なのだけど、興味ある人は続きをどうぞ。

2014-05-24 08.30.10

参考にした本:『コンピュータユーザのための著作権&法律ガイド

◆無断転載できる引用のやり方(引用の要件)

ブログで文章を書くときに、他の人の文や図を使って、説明したい時がある。

きちんと『引用の要件』を満たせば、文も「マンガのコマ」のような絵(図)でもあっても、「引用」することができる。

しかし、逆に、『引用の要件』を満たしてなければ、あとあとトラブルになって困るのは、ブロガーだったりする。

『引用の要件』である、以下の6点を守って「正しく引用」しようよ。

引用の要件

  1. 公表された著作物であること
  2. 公正な慣行に合致していること
  3. 報道、批判、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われること
  4. 出所を明示すること
  5. 引用とそれ以外の部分を明瞭に区別して認識できること
  6. 自己の著作物が主であって、あくまで引用部分は従の関係であること

コンピュータユーザのための著作権&法律ガイド P86-P88

『引用の要件』の解説は、あちこちで調べることができるので、おさえておきたいところ。

ここで、特に注目してほしいのは、「6番目の引用の要件」についてだ。

◆引用にならないケースでよくあるパターン「書き起こし」

「引用にならないケース」で、よくあるパターンは、書籍の「書き起こし」だと、おらは感じる。

なんらかの書籍を紹介(もしくは買わせたい)ために、書籍の読ませどころを「まるっとするっと全文書き起こし」てしまうケースを、よく目にする。

そして、そういうブログは「自己の著作物が主であって、引用部分は従である」 なんてことは、全く意識していない。

文章の量も、質も、圧倒的に主従が逆転しているのだよ。

文の割合でいうと、9割が書籍からの転載で、残りの1割り程度で「ここが参考になった」とかなんとか、付け足し文がある感じ。

そんなのは、引用でも何でもなくて、ただの、無断転載でしかない。

◆自称ブロガーが目指すところ

おらは、本を抜き書きする人は「似非ブロガー」だと感じている。

「自称ブロガー」が目指すところと、「似非ブロガー」が目指すところは、違うと思う。

では、「自称ブロガー」と「似非ブロガー」の違いってなんだろうか?

自問自答してみる。

Q1. なぜ本の内容を抜き書きしてるの?

A1. 本を紹介して、その本を読んで欲しい

Q2. アフィリエイト目的なの?

A2. アフィリエイト目的でもある(amazonへのリンクを貼ってるし)

Q3. ブログ記事の内容を、主従関係からみて、「本の無断転載」が主なの?

A3. うん。まあ。そうかな。

Q4. ブロガーとしての意見が主ではなくて?

A4. うん。本を紹介して、それを買って読んでもらえれば、いいかな。

→ここまでの自問自答(自作自演)でいうと、あくまで「本の内容(無断転載)を主にしている人」が「似非ブロガー」だと思うわけ。

では、「自称ブロガー」が目指すところはどこなのか?

「本の内容をメイン(主)」そのものを伝えたいのではなく、その本を読んで、「では読者である自分(=自称ブロガー)はどう感じたか」を伝えようよ、というもの。

同じ本を読んでブログを書いたとしても、「似非ブロガー」と「自称ブロガー」とでは、伝えたいテーマ(主題)が違うのだ。

「他人の考えを=著作」を主として広めたい人が、「似非ブロガー」である。だから、「無断転載」に走ってしまう。

一方で、「自分の考えを=ブログ」を主として広めたい人が、「自称ブロガー」なのだ。だから、「引用」をしても、主従は逆転しない。

自分の考えがない(足りない)人が、ブログを書こうとすると、「無断転載」してしまうのではないかしら。

これが、おらの持っている「ブロガー」のイメージの違いだ。

また、もし、「自分の考え」をまったく無いものとして、事実を伝えるサイトを作るなら、それはブログではなくて、ニュースサイトの役割でいいと思う。

◆まとめ「無断転載」だけのブログは畳んでしまおう

↑この見出しは、ちょっと過激なものの言い方かもしれないけども。

本の「無断転載」して、それで満足ならば、ブロガーとしては下の下だと、おらは思う。

人の考えである「本」を主にして、安易にタダ乗りしているだけに過ぎない。

そんなブログは、大手とか弱小とか、アクセス数が多い少ないとも関係なくて、ブログとして下の下だと思う(繰り返し)。

せっかく、ブログなんていう、(‘A`)マンドクセものを作るならば、自分の考えを発表できる場にした方が、断然におもしろい。

そうして書いた何かが、誰かに読まれたらラッキーだし、ハッピーだ。

また、そうして書いた何かが、他の誰かに引用されてさらに新しい考えのきっかけになったりしたら、さらに、ラッキーだし、ハッピーになれる。

と、自称ブロガーのおらは思うのだ。

そして、「かつてブログには、トラックバックというものがあってだなry」と語りだしたくなるが、それはまた別の話。