猫が分からないと思うなよ?

おっす!おらななし。

さっきTwitterでみた、ぬこの画像と文章を引用。

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このぬこの表情がなんとも言えない。

実は、ぬこは「なにをされているのか、理解している」。

ぬこは「飼い主が自分(ぬこ)を蔑んだ」ことを、分かっている。

分かっているからこそ、こういう、なんとも言えない表情をしている。

決して、字が読めないからと言って、何をされているのか「理解できていない」わけではないのだ。

ぬこに限らず、いぬでもそうなのだけど、飼い主が言った「悪口」を、かれらは理解している。

逆に「愛情」であっても、ちゃんと全部分かっているのだ。

だから、「悪口」は、やめてあげて。

その逆に、「ほめること」は、続けてあげて。

これは、赤ちゃんも同じだ。

日本語がまだ喋れない赤ちゃんであっても、親が話していることは、ちゃんと全て分かっているのだ。

単に、言葉が喋れないだけだ。

言葉を操るには、inputとoutputの二つが必要であるが、かれらは、outputができないだけなのだ。

言葉が喋れないからといって、inputとoutput両方できないと思うのは間違いだ。

かれらは、outputができないだけで、inputは、間違いなくできている。

だから、言葉が分からないと思って、犬も猫も赤ちゃんに対して、バカにした言葉を投げかけたら、ダメなのだ。

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犬を殺すしか!と思った瞬間

あなたは、犬を殺すしか!と思ったことはあるだろうか?

おらは、今朝の出勤中に、そう思った。

理由はこうだ。

出勤するため家を5:45に出て、歩いて20mほど行った曲がり角を、右へ曲がった。

その瞬間、おらが歩いてきた後方より、犬が猛然と飛びかかってきて、牙をむいて、吠えたててきたのだ!

おらは、「うわああぁあ!!」と悲鳴にちかい声をあげた。

まさか、後ろから犬が飛びかかってくるなんて、思いもしなかったからだ。

犬の種類は、ゴールデンレトリーバーで、首輪はしていない。飼い主の姿もない。

ゴールデンレトリーバーは、よく「おりこうな犬」として、雑誌やテレビでも紹介されている。

おらも、普段なら、犬のことを「わんわんお」と、親密な気持ちをこめて呼ぶくらいで、好きか嫌いかで言えば、好きである。

しかし、今朝は、この犬に対して、「かわいい」などとは微塵も思わず、とにかく恐怖しかなかった。

犬、というより、一頭の「獣」だった。

そして、おらのスイッチが入った。

牙を剥いて吠えまくる一頭の「獣」に対して、日常生活では、まるで縁のない「闘争本能」が、むりやり着火された。

やられる前に、殺らなければ!』と、おらのなかで、野生が目覚めた。

大げさではなく、そういう感情が湧いたのだ。

自分の生命の危機から、逃れるためには、目の前の犬を殺すしかない!そう思ったのだ。

その時、ちょうど、雨が降っていたので、おらは傘を持っていた。

その広げていた傘で、犬を追い払おうと、振り回し続けた。

そのうち、犬はもときた道へ戻っていった。

この間、家を出てから2分といったところだ。

おらの心臓はバクバクだった。

犬が去って「ほっとした」のとともに、猛烈な怒りが湧いてきた。

犬に対しては「殺す」と思ったくらいの怒りもあったし、なによりも首輪も付けずに、大型の犬を話した飼い主に対して、同様に強い怒りを覚えた。

そして、いくらペットと言っても、首輪のない犬は、まさしく「獣」なのだと感じた。

犬、マジこええよ、犬。

いぬの散歩とマゾヒスト

おっす!オラいぬのおまわりさん!
迷子の子猫ちゃんはどこかな?
そんな子猫ちゃんは送り狼しちゃうよ!

と、のっけから妄言でお送りしているわけだけど、今日の話は妄言多めで!(いつもだけど)。

◆1)いぬのニュース

最近、いぬのニュースで気になったは、「大阪泉佐野市、ペットからも税金徴収 30年ぶり「飼い犬税」復活に動く 」という記事。

どういうことかというと、いぬの飼い主がうんこの始末をしないもんだから、市が「飼い主がうんこ始末しないんだったら税金とって市が行うから!」という話らしい。

おらは、飼い主が「誰かがいぬのうんこ処理してくれる」と思って、うんこを放置するのが、やっぱりわるいんだと思う。

それって、いぬを可愛くて飼ってるけど、うんこは始末したくない、ってことでしょ?

それは、やっぱり「飼い主の資格」がないというか
いぬを飼ったらうんこをするものという「覚悟」が足りないんじゃないかしら?

むしろ、うんこを始末することに喜び(悦び)を感じるくらいの飼い主じゃないとね!

◆2)いぬの散歩とエロマンガ

「いぬの散歩」という図式は、よくエロマンガなんかだと、女性に対して行うエロ表現だったりする。
マゾヒストの女性を、いぬのように全裸にさせて、首輪をつけて、散歩させるというような話がある。
でも、たいていは、そこでおしまい。

本来ならば、もっとつっこんで、いぬがうんこをするがごとく、女性が糞尿をながす描写があってしかるべきだし、そこを「飼い主であるご主人様」が掃除するまでが、「完璧なプレイ」だと思うのだけど、いかがか?

いかがかって、誰に問うているんだかw

ともかく、ペットの不始末は、ペット自身が片付けるのではなくて、ペットの飼い主が行うべき姿と思う。

◆3)いぬの散歩と思い出

最初に、いぬの散歩をみた記憶は、オラんちの目の前で飼われてたタロー(♂)だった。

散歩の最中に思ったコトは二つ。

  1. いぬはおしっこを朝と晩の二回しかできないんだ!?
  2. いぬの飼い主は足が速くなるんじゃないか

まず、オラがこどもだった当時は、いぬは基本的に外で飼われていた。いまでは室内犬も当たり前だけど。

それで、いぬは朝と晩の散歩のときしか、電柱におしっこしてまわれなかったのが、ショックだった。
だって、オラだったら、そんなにガマンできないもの。
自分のタイミングでおしっこやうんこができないなんて、いぬは大変だな、と思った。

もう一つの方は、タローがかなりのスピードで走るものだから、それを散歩している飼い主の少年も、かなり足が速かったんだよね。
オラは足が遅いもんだから、「いぬを飼うと足が速くなる」と、単純に憧れた。

あと、いま思い出したのは、タローが散歩から帰ってきて、水道水をがぶ飲みする姿がとても「美味そう」だったわ。

走ったあとの水はうまいもんな。

って、ここまで書いて、なんかオラのブログって「うんこネタ」が多くね?
まあ、あれよ、うんこを考えるってことは、大事なことなんだよ、たぶん。

ペットを死ぬまで飼わない親子の話。タチコマの家出。

おっす!オラかつてペットを飼っていた人!オラんちのぬこは天寿をまっとうしたと思うよ!
「ペットを死ぬまで飼わない」という人(親子)の話を目にしたので、ちょっとメモっておくよ。

きっかけは、オラが生息するWassrでのこんなヒトコトから

昨日綾目と外歩いてて5・6歳の子に話しかけられたんだけど「家にも猫いるよー、小さいの、大きいのもいたけど年とったから放した!」って言ってて、それは死んだのを親が気遣ってそう言ったんだろうと思ったんだけど、本当だったらとか、年とったら捨てるものだって思って育つのもどうなんだろうとか、色々考えてもんやり。私だったら自分の子供には死んだって言う…と思う、けど年にもよるかなぁ。まだわからん。
by Aya@寝飽きた

断耳してないドーベルマンピンシャーの画像(wikipediaより)ここで出てくる「綾目」というのは、Aya@寝飽きたさんが飼われているドーベルマンピンシャーのこと。(※画像はWikipediaより引用)

この文章を読んで、オラは、ビックリした。
文に書かれてる要素は3点。

  1. 子どもの認識:「ペットが年取ったから手放した」
  2. 親の行動A(事実):「ペットが年取ったから手放した」
  3. 親の行動B(想像):「ペットは死んだけど、子どもにペットは年取ったから手放したと嘘をついた」

どれをとっても、ゾッとする話。
この子どもは「ペットは年取って古くなったら買い換えればいいモノ」「可愛くなくなったら捨てていいもの」と思っているんだろう。
まさに親の教育のたまもの。 

上の話を読んで、本当にそういうコトをする人がいるのか、調べてみた。

AllAboutにこんな話がのってた。

先日、犬猫の引き取り業務も行っている部署で働く行政の方から、ちょっとショッキングなことを聞きました。犬や猫の引き取りを依頼する方には、「子供の情操教育が終わったから」と言われる方が少なくないそうなのです。子供の情操教育っていったい何なのでしょうね?
ペットによる子供の情操教育について [小さなペット] All About

こういう親は、「少なくない」らしい。
いらなくなった犬猫は、さくっと処分できる人が「少なくない」ということ。
つまり、先のAya@寝飽きたさんが出会った子どもの家庭では「古くなった犬を処分」している可能性が、「本当にある」、ということ。

Aya@寝飽きたさんの話でオラが思い出したのは、アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の「第12話 タチコマの家出」だった。

ある日タチコマは、ミキちゃんという女の子に出会う。
ミキちゃんは飼っていた犬(ロッキー)がいなくなってしまい、それをタチコマが一緒にさがしてあげる、というエピソード。
ふたりで“海が見える丘公園”へと向かう途中に、こんな話をしはじめる。

第12話 タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM*
ミキ「ロッキーはね、ミキが産まれた時からずっと一緒に暮らしてたの。一緒に遊んだり、一緒にご飯食べたり、一緒のベッドにも寝てたんだよ。」
タ「ふーん。二人は仲良しだったんだね。」
ミキ「うん。」
タ「でもロッキーは何で迷子になったの?いつもミキちゃんと一緒にいたんでしょ?」
ミキ「うん・・・ねえタチコマ。貴方秘密の金魚っていうお話知ってる?」
タ「秘密の金魚?知らない。」
ミキ「私と同じ位の女の子が主人公の物語なの。」
タ「物語?」
ミキ「そう。自分の金魚をどうしても人に見せたがらない女の子のお話で、その子が何で人に金魚を見せたがらないかっていうと、自分のお小遣いで買ったからだって言うの。それでね、周りの大人は、なんて困った子供なんだろうって心配するけど、本当はその金魚はもうとっくに死んじゃってて、その事を周りの大人に気付かれまいとして女の子は金魚を誰にも見せなかったの。」
タ「うーん、よく分からないなあ。だって金魚は死んじゃったんでしょ?だったらまたお小遣いとかで新しくすればいいのに。」
ミキ「駄目よそんなの。死んじゃった金魚はもう帰って来ないんですもの。女の子は金魚が死んだ事で自分が悲しむだろうって大人達に思われたくなかったのよ。だって自分はもう十分悲しんだもの。」

このあと、ふたりで“海が見える丘公園”で、ロッキーのお墓を見つける。
ミキちゃんはこう続ける。

ミキ「私、本当は知ってたんだ。木曜日にナーサリーから帰ってきたらロッキーがいなくなってて、もうずっと前から元気がなかったの。ママ達は、ロッキーは出かけたって言い張るの。でも金曜日も土曜日も、ロッキーを探しに行こうって言ってもパパもママも、ダメだって言った。だからもう、ロッキーは死んじゃってるんだって分かってたけど、探しに行くふりしなきゃミキが、本当の事知ってるんだってパパとママに分かっちゃう…」

もうね、オラはこのシーンは何度みても号泣するんだ。
このブログを書くためにDVD見直したんだけど、まあ、涙ぽろっぽろだわ。
最初に見たときには、2004年の作品だから、うちのぬこも元気だった頃だけども、 それでもぽろぽろ泣いてしまった。

さっきの子どもも、このミキちゃんのように、「本当は飼ってたぬこが死んだけど、知らないフリをしている」、だったら良いのになぁ…。

◆ミキちゃんとタチコマのエピソードは「虚構」であるけど、とてもよい話。また、冒頭の子どもの話は「現実」だけど、とてもゾッとする話。

実は、こういう「なんで古くなった年寄りを殺しちゃダメなの?」って、疑問すら思わない人が多くなってるのかもしれないな、と思う。

また、そうした人たちが、実は政治家のトップになったりしてて「年寄りや弱者は切り捨てる」のがいまの日本だと思う。
大阪市の橋下市長や、東京都の石原都知事の政策なんかは、「老人は死んで」って言ってるのと同じだもの…。

「古いぬこは放した!」と、当たり前のコトとして言い放つ子どもがいるのが、まさに「いまの日本の縮図」なのかもしれない。
また、そういう家族に、『タチコマの家出』をみせても、まるでピンと来ないのかもしれない。

オラは、アニメで描かれた「虚構の話」の方が、ずっと、もっと、理想的な世界だと感じた。血も涙もなく、またゴーストもなく、死という概念を理解できないタチコマでさえ、ミキちゃんの話を聞いてオイルを流すという世界が。