最終巻flat (8) を読んで泣くのよヨヨヨ

おっす!おら泣き虫!

目の下に泣きぼくろがあるからかどうかは知らないけども、物語ではすぐに泣いてしまうよ。

今回は、『flat(8)(完)』の読書感想文を書いてみるよ(゚∀゚)!

2014-03-07 16.04.13

flatを読んでいると、涙があふれてとまらなくなってしまう。

主人公の高校生平介(へいすけ)は、熱しにくく、どこまでもflatな精神。いつも、たんたんと日常を過ごしている。

一方で、そんな平介をすきな、従弟の秋。無口な彼は、一見するとflatな感情を持ち合わせていそうだが、実際はそうではなく、背中から一喜一憂を語る男の子。

その二人が、特別なにもない、いつもの日常を過ごしているだけなのに、読んでいるこちらの心をぶるんぶるんと揺さぶる。そして、その結果、涙が溢れて出てしまう。

別に、ヒロインが死ぬようなこととか、切なくなるような悲しい出来事とか、やるせないこととか起きないのに。

なんでこんなに泣いてしまうのか、自分でも、分からない。

おらは、自分のことを、冷たい人間だという自覚があるし、誰とも本音では交わらないような感じがある。

それでも、この物語には、なぜか心を動かされて、泣いてしまう。

あたかも、自分のなかに、そうした「優しい何かがあるのかも」と思ってしまうほどに、涙が流れてしまう。

この『flat』の読後感は、とにかくよい。素敵だ。素敵すぎるだろう。

と言っても、スッキリ爽快で、どこまでも駆け出したくなるような、エネルギーに満たされる!!!という感情にはならない。

そうではなくて、もっと、柔らかい気持ちになれる。

ほっと一息ついて、お菓子とお茶で、ティータイムを過ごしたかのような、そういう気持ちになる。(実際に、マンガの中にも、お菓子のシーンがたくさん出てくる)

「癒される」という言葉が、おらは嫌いなのだけど、このマンガを「癒される」と評価するのは、ちょっと違うと思う。

「癒やし」ではなく、「育む(はぐくむ)」が正解なのかもしれない。

そうした「育む何か」をみたときの、(*´ω`*)という気持ち。

感想を顔文字で逃げるなとも思うが、そういう感情。

このマンガは、うるさい子供がきらいな人にも、読んでみてほしい。

大人しい秋くんの背中からにじみ出る「何か」を、また「育む姿」を、じんわり味わってほしい。

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2013年の目標をふりかえって

おっす!おら名無し!

師走にこたつでぬくぬくしているぞ。

2013年の最後になるかもしれないエントリーということで、今年の目標をふりかえってみるよ。

◆ふりかえり

今年、最初のエントリーに、目標をたてたので、それを1つずつみてみよう。

今年のアナタの目標は何ですか? | 774no874
https://774no874.wordpress.com/2013/01/02/what-is-the-target-of-your-this-year/

  1. 英語で自分の思っていることを言えるようになる。
  2. ダイエットで69キロ台をめざす。
  3. シンプルに怒らないこと。
  4. キープクリーン。
  5. 新しいことにチャレンジ!

★(1) 英語で自分の思っていることを言えるようになる。 →×

ぜんぜん、だめだった。英語はさっぱりわかるようになっていない。

★(2) ダイエットで69キロ台をめざす。 →×

ぜんぜん、だめ。むしろ、いま、今日、現在の体重は、80.6kg。

★(3) シンプルに怒らないこと。 →△

わりとできた。ただし、全く怒らないというのは無理で、イラっとくることもある。

★(4) キープクリーン。 →○

できた。これは、かなりできるようになっている。やった!

★(5)新しいことにチャレンジ! →◎

できた。引っ越しをきめ、太極拳をはじめた。やったった!

という結果だった。二勝/二敗/一分け という感じか。

ただし、これは、おらとしては満足している部分が大きい。

なんといっても、一人暮らしをはじめたのは、人生で初だったので、これは嬉しかった。

また、一人暮らしをはじめて、4ヶ月たち、じょじょに感覚もつかめて、かつ自信につながっている。

見なおしてみると、(2)〜(5)、は、『セルフ・コントロール』と言えるのかもしれない。

自分を思うように動かすというのは、簡単なようで、かなり難しい。いや、それができるなら、「なりたいような自分になる」ことも、『セルフ・コントロール』の延長でできちゃうのかもしれないね。

ま、おらは、そういう大きな目標ではなく、小さな目標を5つ作ることで、クリアするものを明確にしておきたかった。

ダメなものはダメだったけどね。

実は、8月の時点にも、中間点として振り返ってるけど、当時は「新しいチャレンジは進行中」だったのよね。それが、なんとかカタチになってよかった。

さてさて、来年は、どんな目標をたてようかな。

もう、この年末だから、鬼も笑わないよね。

およそ、だいたいの目標は決めたのだけども、それを話すのは、また別の機会だな。

それじゃ、またー(σ゚∀゚)σゲッツ!!

omoide boroboro

2013-10-24 23.15.19

タイトルは、思い出ぼろぼろ。

まあ、思い出の品として身につけていたアイテムが壊れたのよね。

直そうと思ったら、実は直せる。

でも、あえて、直さない、という選択もあるのかもしれない。

この品は、ロボットのストラップ。

好きな人にもらったもの。

しかも、2つ目。ひとつはもらったその翌日に、壊れてどっかいっちゃって、なくしたっていうね。

我ながら、絶望のあまりに、うろたえて、プレゼントをくれた人にメールしてしまい、呆れられたっていうね。

でも、2つ目をくれたりした。

それを、ずっと机の引き出しにとっておいたのを、iPhoneにつけるようになったのは、わりと最近かもしれない。

このストラップをもらったのは、もう何年前なのかな?6年くらいかな?

その人とは、音信不通。

なのだけど、どうもLINEの知人で、表示されたっぽくて、子どもがいるみたいな。

いや、その子どもがどうやって出来たのかも、知っていて、そして、それがおれとはまったく縁もゆかりもないことなのだけど。

それでも、好きだったんだよね。

ま、もう、いまでは、このストラップを捨てる決心もしたことで、「時間はすすみはじめた」のだ。

もう、戻ることもないのだ。

おらは、新しい出会いに、すすめる時期がキタのだよ。

きっと、そうなのだ。

Wassrが終わって「よかった」と思うこと

おっす!おらわさらー!

2012年を振り返るとなると、やっぱり、Wassrが終わったことがあったなぁ…と。

ということで、おらなりに、いま、Wassrについて振り返ってみるてst。

wassr忘年会の思い出

Wassr忘年会の思い出:ダンボーとタチコマ / 2012-12-15 (土) 20:15

◆Wassr終了についての公式コメント

先日、次のような記事が載っていた。

Wassr、カレログ、“サービス終了”の理由とは?|【Tech総研】

日本製Twitterとも呼べる「Wassr」。Twitterの日本語版がまだなかった2007年にリリースされ、充実した機能と楽しい仕掛けで人気が上昇。エンジニアやギークからも愛された。そのサービスが10月1日に終了。立ち上げから参加した木村岳文氏と、ユーザーから開発者へと転じた大濱健治氏が語る。

まあ、内容はあちらで読んでもらうとして、Wassrの中の人の公式なコメントって、ここくらいでしか読めないんじゃないかしら。個人的なブログやTwitterでは読んでいたのだけども。

おらとしては、Wassrが終わることで、さんざん「残念だ」って言ってきたので、あえて「よかった」と思うことはナニか?と考えてみたい。

◆Wassrが終わって「よかった」こと

答え:Wassrが中心の生活でなくなったことで「自由」になる。

おらは、自称ヘビーわさらー(Wassrユーザ)だった。

なので、Wassrに関わる時間がかなり多いほうだった。

どこかへ行くには、ケータイからWassrのページをチェックし。

そこで写真を撮影して、Wassrへアップし。

さらに、その投稿したネタに「イイネ!」がどれくらいつくかを確認し。

さらにさらには、その一日で、「イイネ!ランキング」に入るかどうかをみるなど。

まあ、生活の中心がWassrをチェックすることで回っていたような部分があった。

2012年は、それでもだいぶWassrへの投稿は減っていたのだけど、それでも、多くの時間、いつでも、どこでも、Wassrを確認し続けていたように思う。

それが、7月に入り、Wassrが終わるというアナウンスがあって、おらはWassrの依存度を急速に下げていった。

Wassrが終わるとアナウンスされてから、実際にサービスが終了するまで、三ヶ月ほどの猶予があったので、その間に、ちょっとずつ、Wassrをやめていった感じだ。

たとえば、タバコをやめるときに、急にやめずに、徐々に「禁煙」するのと似ているかもしれない。

ヘビースモーカーも、少しずつタバコの本数を減らして、最終的には、タバコをなしでも生活が送れるようにする、みたいな。

おらも、Wassrがなしでも生活が送れるように、少しずつWassrに関わる時間を減らしていき、そういう身体とメンタルに慣らしていった。

そして、Wassrが終わるという最終日には、「とても残念なきもち」もありつつ、Wassrが無くなっても、うろたえたりしないようにはなっていた。

そして、振り返ってみると、Wassrがなくなったことで、「自由」にもなった。

Wassrに関わっていた時間は、無駄ではなかったし、とても楽しいものだったし、おらにとって重要なやりとりではあったのだけど。

Wassrがネットから無くなった今は、Wassrがおらの中で占めていた重要度と時間の分だけ、逆に「自由になった」ように思える。

ま、あえて、Wassrが無くなったことを「プラスに考える」という思考の出発点からだした結論だけどもね。

いま現在、Wassrのユーザはあちこちにバラバラのサービスに分かれてしまった。

わさらーの中には、Google +に行った人も、わりと多くいる。

が、おらはGoogle+を第二のWassrのようには利用していない。

Wassrが無くなった今は、「見るのも見ないのも自由」なのだ。

依存度が減って、バランスがとれているように思える。

先日のWassrの忘年会が開催されて、おらも参加してきた。

忘年会はとても楽しかったが、早くも、おらの中では「卒業した母校」のような存在になってきているように感じた。

最後に、おらがWassrで最後にしたつぶやきをコピペしておこう。

kemeko縁があってわっさーに集ったわさらーたちよ。縁があるんだからまたどこかで逢いましょう。でわ。
by iMaka at 2012-10-01(月) 11:58:33

LOGPI!(ログピ)のログをblogtrottrを使ってEvernoteに保存するメモ

おっす!おらさっきまでわさらー!

本日(10/1)の正午に、わっさー(wassr.jp)終わりまして、色々ありがとう!

今回、wassrが終わるにあたり、自分のログをローカルに保存するのにけっこう手間取ったりしたのよね。

ログ収集ツールを提供してくれた人がいなかったら、ログは諦めていたと思う。
収集ツールを作ってくださった方には本当に感謝感謝。

 

◆ログピでのログの保存

さて、それで引っ越し先として、ログピを本格的に使い始めたわけだけど。

でも、ログピにはログのエクスポートがないので、あとあとで大変なことにならないようにログを保存しておきたい人は準備をしておくとよいかも。

ログピはTwitterと連携できるので、そこからTwitter経由でログを保存する方法もあるよね。

おらがここでのべるのは、blogtrottr.com とEvernoteを利用する方法だよ。

  1. ログピで自分のfeedのURLを確認する(例) http://logpi.jp/imakakomi/feed/you
  2. http://blogtrottr.com/ にアクセスする
  3. 1のURLを入力し、メールアドレスにEvernoteの送信用のアドレスを入力する

これで、ログピのログがEvernoteに飛んでくるようになるよ。

あとは、適当にEmail subjectなんかを変更すると、Evernoteのノートブックに自動的に保存されるよ。

 

 

おらはEvernoteに「187_ログピ」という名称のノートブックを用意しているので、メールのタイトルを「Your {schedule_name} for {feed_title} @187_ログピ」としてる。

 

◆時刻のズレ

メールの時刻がずれてるという場合は、タイムゾーンを設定するべし。

サインアップしたら、Account Settings に行き、Timezoneを[Tokyo]に
http://blogtrottr.com/account/

 

◆まとめ

ばいばい Wassr いままでありがとう。

こんにちは LOGPI これからよろしくね。

 

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サービスの終了の仕方とWassrについて

おっすオラわさらー(=wassrを利用している人の意味)!

もうすぐWassrが終わるのでわさらーじゃなくなるけども。

Wassrは今日(9月14日)で新規受付が終了。10月1日でおしまい。(参考:サービス終了のお知らせ – Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]

ところで、wassrの終了のアナウンスは8月1日にあったのだけど、9月14日の現在、とくにそれ以上のアナウンスはない。

ログのエクスポートも(今のところ)できないみたい。

ログのエクスポートって、それほど重要視されてないのかしら?

wassrに流れてくる前に、nowaってサービスを使っていたのだけど、nowaが終了するときにはログのエクスポートを用意してくれていた。

まあ、nowaは、ブログとsnsのあいのこみたいなサービスだったから、ログをエクスポートして、livedoorブログへお引越ししてねって意味もあったのだろうけども。

wassrはブログではないが、ログのエクスポートを用意してくれたら親切なのになぁ、とは思う。

というか、逆にオラの感じ方では、ログのエクスポートを用意してくれないのは不親切だなぁと思う。

提供者側としては、サービスは終わりです。はいおしまい。でいいのかしら?

ログのエクスポートが用意されてないのなら、自分でなんとかしろっていうのが「普通」なのかしら?

まあ、それがWebサービスなのかもしれないね。無料だし。無料だから文句言うなっていうね。

ただただ、オラが今まで使ってきたところが「親切すぎた」だけなのかもしれないね。

でも、少なくとも、「ユーザに親切」にしてくれる会社は、オラとしては好感が持てるけど。

「ユーザに親切」っていうのは、ユーザがのぞむ機能を盛りこんでくれるって意味だけど、もし、最後までそうした「ユーザに親切」にしてくれるなら、もしサービスが終わったとしても、その会社の他のサービスも使ってみようかなとは思う。

それって、「次に繋がる」チャンスと思うんだが…ちがうのかしら?

ま、実質wassrのアクティブ数が何人いるのかわからないけど、せっかく確保したユーザを、そのまま放流するんじゃなくて、他の自社のサービスを使ってくれるように「ユーザに親切にしておく」のもいいんじゃないかな、と思った。

モンスターペアレントというのがあるけど、上記のメモは、オラが「モンスターわさらー」な可能性もあるのだが、が、が。

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岳18巻の感想と愚痴っぽいもの

おっす!オラマンガまにあ。マンガをよむのがすきなんだ。

ここで『岳 (18)最終巻』の感想をメモしておこうとおもう。

【注意】壮絶ネタバレあり!

さて、まずは、『岳』の最終巻おつかれさまっした!

もし「面白いマンガある?」って聞かれたら、オラはこのマンガを人にすすめることにしている。

山登りと、その救助隊をメインにしたお話のマンガだ。

そうして続いてきた18巻。

ラストを読んだオラの感想。

「正直よまなければよかった…」

そんな終わり方だったのが、すごく残念で、悔しい。

オラはこのマンガをすすめてきたけども、この18巻を読んだのちは、もしかしたらもう他人にすすめることはしないかもしれない。

少なくとも「17巻までにしておけ」とアドバイスするかもしれない。

それくらい、オラにとっては、この18巻はちょっと受け入れることができない内容だった。

読書メーターでは、この18巻の感想をみることができるのだけど、「残念な終わり方」という意見が多くあった。

【注意!】ネタバレあり

Q:なにが納得出来ないか?

A:主人公の三歩が山でしぬから

読んだあとで、オラはずっと考えている。

どうしてこの終わり方を作者は提示したのか。

最後の最後で、読者ががっかりするような終わり方を持ってきたのか。

読者はきっと、三歩の死ぬ姿を望んでいない。

三歩が死んで喜んだ読者は、きっと一人もいないだろう。

また、三歩が死ぬことを真正面から受け止めて「この終わり方が最高だ!」と拍手するひとも少ないのではないだろうか。

それは読書メーターの感想をみても、そう思う。

読者は「どうして三歩が死なないと行けないのか」という、戸惑いをもっていると思う。

オラも、納得ができない。

どうしてこうなったのか?と想像せずにはいられない。

◆18巻の違和感

18巻にはさまざまな違和感があるのでメモしておく。

  • 三歩はなぜ死ぬような行動をとったのか?
  • 三歩が死ぬことで読者に伝えたかったことはなにか?
  • ザックはなぜ久美ちゃんのもとから去ったのか?
  • 久美ちゃんの結婚相手にザックがならなかったのは?
  • 作者の言葉が18巻に限って存在しないのはなぜか?

どれも、すっきりとした答えが見つからない。

そこにもう一つ疑問がある。

  • 『映画 岳』について、作者の石塚真一はどう思っていたのか?

映画については、いっさい触れられていない。

小栗旬が主演を務めた映画について、原作者がいっさい触れないというのは、すこし不自然だ。

あの映画を認めていたら「面白かった」というだろう。

が、そうしたコメントは、マンガの中ではまとめられていない。

ここで、オラが思い出すのは、きくち正太のマンガ『おせん』のテレビドラマ化と、それにともなうトラブルだ。

あのテレビドラマ化のあと、きくち正太は引退を決意するほどにショックを受け、『おせん』の連載をやめてしまった。
その後『おせん 真っ当を受け継ぎ繋ぐ』として連載を再開するが、ドラマ化についてはものすごく怒っていたことが分かる。

もしかして、ひょっとしたら、そうした何かが、『岳』でもあったんじゃないだろうか?

そう考えるのは、オラの下衆の勘ぐりだろうか。

◆キャラクターの行動

三歩に限らずだけど、キャラクターの行動は、作者が決めている。

作者がマンガの話を作るわけだから、当然といえば当然だ。

だが、いっぽうで、キャラクターが勝手に動き出す、というのも、また事実としてあるそうだ。

『HUNTER×HUNTER』の作者である冨樫義博は、ストーリーの分岐点のような場面をえがくとき、まずは思考実験をくりかえすそうだ。

キャラクターたちに相談するような、「AとB」とあったら、どっちを選ぶのかはキャラクターに決めさせる。

そのキャラクターたちにあわない行動はさせない、ということがあるらしい。

そうすることで、キャラクターは自分の考えで動くような存在へとなっていく、みたいな。

今回、三歩が死ぬまでには、三歩が犯す「行動の過ち」が重なり、それによって結局三歩は死ぬわけだけど…。

もし、17巻より以前の三歩だったら、本当にそういう行動にとっただろうか?と思ってしまうのだ。

オラが思うに、以前の三歩だったら18巻のような行動はしない。

もし、仲良しの登山家が上から落下してきても、その姿にたいして手を差し伸べたりしない。
そうすることで自分が死んでしまうのを避けるために。
それが「岳」のキャップを被るきっかけのエピソードで述べられていた。
もし同じ場面になってもそうすると、だから三歩は死なないのだと、そう久美ちゃんに説明する姿があったのだ。

だから、いままでの三歩であったのなら、18巻で命を落とすことはなかったと思うのだ。
三歩の行動では「山では自分の命をまもること」が根本にあるからだ。

しかし、この18巻での三歩はそうはしなかった。だから死んだ。

キャラクターの、まさにキャラに合わない行動によって、三歩が死ぬことが、納得できないのだ。

また、キャラクターの行動の違和感は、三歩に限らず、久美ちゃんやザックについても、そうだ。

17巻まで、ザックがたしかに久美ちゃんをずっと支えてきていた。

そうした二人ではぐくんできたエピソードも、いっさいなかったコトにして、18巻は結末をむかえる。

久美ちゃんはヘリコプターのパイロット(モブ役)と結婚し、ザックはアメリカへ帰る。

なぜだ?

どうしてここまで、今までの物語を否定するような、壊し方をして、最終巻なんだろうか?

むずかしい。

これを受け入れるのが、オラには難しい。

また、18巻で三歩が死ぬことがわかってしまった今、1巻から読み返すのがとてもつらい。

三歩がいままで、どんな困難な状況でも笑顔でがんばってきた山の遭難救助の話が、ラストのあの話につながるのかと思うと、ちょっと読み返せない。

作者には、この岳の最後のエピソードを、どういう思いを込めてかいたのか知りたい。

また、それにオラが思い至れないというか、受け止められないのが、とても悔しい。

作者の描くラストと、読者が望むラストのギャップが、ものすごくある、というのが、この『岳 (18)』だと思う。

◆望むラストのかたち

もう、三歩が死ぬという最悪のラストですでに終わってしまったものについて、「望むラスト」というのも変だが、少しだけ蛇足を書いておく。

人を救うマンガという大きなくくりでいうと、似たマンガに『医龍』がある。

こちらも実はテレビドラマ化され、そのドラマ化されたものは、原作の『医龍』とは、やっぱり別物の(原作ファンからしたら原作レイプの)ものなのだけど。

それでも、この『医龍』は、原作がとてもすばらしい形で決着をみたと思う。

医龍では、スーパードクターである朝田龍太郎が、最終的に死の局面にであい、それを自分が培ってきた人たちが救い、受け継ぎ、次の世代につなげていく、というラストになっている。

岳でも、実はこうした話ができたのではないだろうか?

三歩の窮地を、次の世代の人たちが支える、という形のラストがあってもよかったのではないだろうか。

またそれは、三歩が死なないでも、次を育てることができるというストーリーが、あったのではないだろうか?

三歩のノートについてもそうで、三歩が生きているときに、山岳救助隊の人たちと情報の共有ができたのではないだろうか?

そう考えないではいられない。

今までとてもおもしろいマンガを読ませていただいた作者の方には、とても感謝している。

けども、どうしても、三歩が死んだというショックが、オラを「このマンガを読んでよかった」という気持ちにさせないのだ。