仕事の評価軸について

おっす!おらサラリーマン!

サラリーマンをしていると、会社の同僚や上司について、「評価」することがあるのだけど、それについて、感じたことをメモっておくよ。

一般論じゃなくて、主観的に、おらがそう感じるっていう話よ。

(‘A`)マンドクセ と思った愚痴よ!

◆男性が評価するときの軸(二次元)

男性が、会社の同僚や上司を「評価」するときの軸は、主に二つあると思う。

1つは、その人物に対する「能力のある・ない」という点。仕事ができるかどうか、と言い換えることもできる。

2つめは、その人物に対する「性格の良し・悪し」という点。これは、自分にとってソリが合うかどうかの、相性的な意味とも言い換えられるな

評価の基準は2つの軸(能力,性格)で表せるとすると、x軸とy軸の二つの軸を持った二次元のグラフでも表せそうね。

まあこれは、客観的に見えるけど、でもその実は、(自分から見て)評価する対象の人がどう見えるかっていうだけなのだけどね。

◆女性が評価するときの軸(三次元)

一方で、女性が、会社の同僚や上司を評価するときの軸には、主に三つあると思う。

1つは「能力」、2つめは「性格」で、これらは男性が評価するときと同じと思う。

3つめは、その人物がどういう「容姿」なのかという点である。

・生まれ持っての容姿が、美人なのかブサイクなのか。

・ファッションセンスや、お金をかけているかどうか。

・美容にどれだけお金をかけて、加工しているかどうか

これらの「容姿」についてが、女性が評価するときには大きなポイントになっている。

評価の基準は3つあり(能力,性格,容姿)で表せるとなると、x軸とy軸とz軸の三次元のグラフになるのだ。

そして、この第三の「容姿」についての評価が、女性にとってはとにかく重要になっている点が、男性の評価基準とはまるで違う点だ。

◆男女で評価軸がずれる

ある人の評価をする時に、その話を詳しく聞いてみると、男女で見ているところが大きく違っているのに気づくことがある。

男性から見て、Aさんがどういう人かというと(能力,性格)から見て「良い人(良くない人)」だなーとなる。

女性から見ると、Aさんがどういう人かというと(能力,性格,容姿)から見て「良い人(良くない人)」だなーとなる。

そして、女性から、女性を評価するときの話に限っていうと、「容姿」がとにかく第一優先の評価基準になっていたりするのだ。

男性からみると、本当にどうでもよい点なのだけども、女性にとってはとても重要な点になっている。

例えば、付けまつげをどの程度盛っているかや、その頻度、どのお店に行っているか。

あるいは、ファッションはどういう物を身につけているか、いくらぐらいか、似合っているかどうか、とか。

美容にはいくらぐらいかけているか、そのかけた結果あれぐらいなのか、とか、エステやなんやらにお金をかけているかどうか。

髪型や、肌の色つや、などなどなどエトセトラ、この辺りが、非常に(‘A`)マンドクセ 評価基準があるのだ。

ある意味では、「嫉妬」からスタートした評価基準を、持っている。

なので、男性と女性とで、同じ人を評価して話し合おうとしても、割と不毛なやりとりになる。

男性から見たら(能力,性格)で、対象となる人を評価したいのだけど、女性から見たらそれらは二の次三の次であり(容姿)がどうなのかが、大きなファクタになっているくらいだ。

◆女性にとっての第4項目(タブー)

女性が女性を評価する時には、(容姿)が評価の基準になっていて、それが嫉妬から出たものであるのは述べた。

実は、女性が女性を評価する時には、第4の項目があるのだが、これはあえて触れないタブー視されている。

それは「恋人・結婚相手」がいるかどうかだ。

例えば、Aさん(能力,性格,容姿)について、とりわけ「容姿」について、延々と批評(ダメ出し)をしてるとしても、そのAさんに「恋人・結婚相手」がいる場合は、すべてが逆転してしまうようだ。

批評(非難)している側に「恋人・結婚相手」がいなかった場合は、特に、Aさんに「恋人・結婚相手」がいることは触れてはいけないようだ。

ぶっちゃけ、Aさんの(能力,性格,容姿)が劣っていると、批評(見下し)しても、Aさんに「恋人・結婚相手」がいるとなったら、その時点でAさんとの優劣は決してしまうのだ。

Aさんは「恋人・結婚相手」がいることで「勝っている」ことになり、批評・非難している側が「負けている」となってしまうようなのだ。

だから、この部分については、暗黙の了解で、話題として触れてはならないようだ。

逆に、Aさんの肩を持つのであれば、〝批判している側には「恋人・結婚相手」はいないけど、Aさんには「恋人・結婚相手」がいるよね!〟とでも言えば、その場のやり取りをぶち壊せるタブーワードだ。

◆ズレている認識をもつ

男女が一緒になって、誰かAさんの話をする時には、評価軸がまるで違っているという認識をもった方が良さそうだ。

男性から見たら(能力,性格)で評価するとしても、女性から見たら(能力,性格,容姿)で評価して話しているかもしれない。

そして、話題には上がらないが、「恋人・結婚相手」も、その場の評価を覆せるファクターとして存在している。

結論: (‘A`)マンドクセ

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柳原可奈子の結婚について

おっす!おらやなかなファン!

おらのブログでは何度も柳原可奈子が可愛いことを述べてきたけども、ついに結婚というニュースが発表された。

やなかなファンとして、一言だけ、述べておきたい。

「ご結婚おめでとうございます!!おらは、いつかおらと結婚するのかと思っていましたが、そんなことにはなりませんでした」

生で柳原可奈子と見たのって、2007年のライブを見に行った、一度だけじゃなかったかしらね。

彼女の通っていた高校とか、わりとおらの生活圏に近かったというのが、ライブの時にあきらかになったりしたよ。

その時から、もうずーっと好き。

ブログも、今のヤプログの前に、2004年くらいからブログを書いていてね、それも好きで読んでるよ。

書籍が出たけども、アレはイマイチだったと個人的には思うけど、もっとブログみたいな詩のような書籍にすればよかったのに。

柳原可奈子が、豹柄のタイツを着たグラビアが、プレイボーイだかに載るというので買った思い出もあるな。

カメラのさくらやに、CMとして採用されたら、すぐにさくらやが倒産されたりね。

柳原可奈子がまだ中野に住んでいた頃には、いつかどこかですれ違うことがあるんじゃないかと、妄想していたものよ。

やなかなの家族の話をするときは、どれも好きなのだけど、家族のエピソードは、その後みんなが亡くなってしまう話に繋がってしまったりして、そんな時に、うっかり泣いてしまうところも、好きだ(泣いた)。

ファンでめちゃくちゃ好きだった人が結婚する時、ちょっと寂しい気持ちにもなる一方で、その何倍も、幸せに、本当に幸せになってほしいと願っているよ。

新しい家庭では、やっぱり全裸家族になるのかしらー!

★USBの方向を二度と間違えない方法★

おっす!おらUSBの方向音痴!

USBって、差し込む方向が決まっているので、とてもややこしいと思うんだよね。

そして、よく方向を間違えて、「あれ?差し込めない」「いや合ってる?」「やっぱりダメ?」ってなることがある。

そんな人のための方法を考えてみたよ。

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用意するもの:★のシール

おらのやり方はとても単純で、USBの差し込み口に、★星のシールを貼る、というもの。

最初に、USBのオスとメスを差し込んだ状態で、★をオスとメスの両方に貼っておくのよ。

そうしておくと、次にUSBを差し込むときには、★と★目印に合わせるようにすれば、差込口の方向が合っている、ということになるの。

逆に、どちらかの星が違う方向を向いていたら、その向きではUSBは差し込めないよ(当たり前)。

これで、USBの差し込みの方向が分からなくて、数秒を無駄にするとか、USBの差し込み口を覗き込むとか、イラッとすることも皆無になるよ。

たとえば、Bluetoothのヘッドホンなどは、USBの端子も小さいし、抜き差しする頻度も高いので、これが★を目安にスッと差し込めると、意外と気持ちいいよ。

今後のUSBの規格が、すべてタイプCみたく、差し込みの方向が関係なくなるんであれば、この★の方法も不要になるんだけどね☆

おためしあれヽ(゚∀゚)ノ

2

大腸検査を受けてきた長い話

おっす!おら便潜血っこ!

会社の健康診断で、「便潜血=便に血が混じっている」ということで、「要再検査」になったよ。

で、大腸検査を受けるという、せっかくのネタなので、書いてみるよ。

◇結論:異常なし

いきなり、ネタバレというか、オチから書いてしまうと、検査の結果「異常なし」だったよ。

いや、ちょっとビビっていたし、タイミング的には、夏休みの旅行の直前の検査だったから…。

最悪の場合は、気持ちが沈んで、夏休みになるところだった。

今日の先生からも、「綺麗な腸です。問題ないです」とお墨付き&、自分の腸内の写真をA4用紙で数枚もらったよ。

で、結論を先に書いたのだけど、以下は、汚い話とかの蛇足。

ま、蛇足がメインかもしれないけども。

蛇足は長文なので、<折り返し>しておく。

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ACアダプタの見分け方

おっす!おら鳥頭!

記憶に関する脳みそは、空き容量がほぼゼロだよ!

そのため、ACアダプタが2つ挿してあるだけで、どちらがどの製品なのかさっぱり分からない。

それを解消する方法を考えてみた。

◆やりたかったこと:ルータの再起動(のためにACアダプタを見分ける)

ルータのアクセス状況が悪かったので、ルータを電源から再起動したかった。

しかし、コンセントがタコ足になっていて、似たようなACアダプタがあって、どっちがどっちか一目では分からなかった。

◆解決策:☆を付けた(目星)

ルータに目星をつけるため、「☆」のシールを貼り付けた。

そこから、ルータの電源コードをたどっていって、ACアダプタにも「☆」シールを貼り付けた。

一回だけは、電源コードをたどっていって、どれがルータのACアダプタなのかは、見極め無くてはならない。

でも、これで次から、ルータのACアダプタは一目でどれか分かるのだ。

(∩´∀`)∩ワーイ

もし、「☆」シールがなかったら、インデックスのシールでもなんでもいいのよ。

風が強い日の洗濯物の干し方

おっす!おら洗濯係!

おらは、平日はお仕事タイムなので、土日は洗濯の日になるのよね。

土日が晴れればいいのだけど、場合によっては、風が強い日もあるね。

洗濯物が飛んで行ったらやっかいだし。

だから、洗濯物が飛ばされない方法を考えてみた!

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風の強い日の干し方

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★その1:ビニール紐を、ハンガーに通す方法

まず、ビニール紐を、物干し竿とを同じくらいの長さにする。

そのあと、ハンガーに洗濯物を吊るしてから、そのハンガーの首元のスキマをぬうようにして、ビニール紐を通す。

そしてビニール紐の両端を、結んでおけば、洗濯物を飛ばされることは、まず無い。

★その2:ビニール紐を往復させて、固定する方法

「その1」の方法だけでも、洗濯物は飛ばされなくなるのだけども、風が吹くことで洗濯物が一箇所に偏ってしまうこともある。

洗濯物が、重なってしまうと、乾きにくくなる。

そうならないように、洗濯物同士の、ある程度の間隔をキープする方法が「その2」だ。

まず、ビニール紐を物干し竿の2倍くらいの長さにする。

そしたら「その1」の要領で、片一方を首元に通したあとに、もう片方を洗濯バサミで肩あたりに止める。

ここうすることで、洗濯物は飛ばされないし、洗濯物同士を一定の間隔をキープすることができる。

★難点は急な雨かな

この洗濯物を飛ばされない方法に、難点があるとすれば、急な雨のときだ。

急な雨で、洗濯物を猛ダッシュで取り込まないと!ってときには、あたふたするね。

「その1」の方法のときは、ヒモを抜き取るまでに、あたふたするし。

「その2」の方法の場合は、それぞれの洗濯物の肩から、洗濯バサミを外さないとイケないからね。

でも、まあ、風が強い日で、かつ、雨が降りそうなときには、洗濯をしない方がいいけどね!

お試しあれー。

何の罪もない***という言い方がキライ

おっす!おら罪人!

いや、野球賭博も、野球に関わりながら薬物依存とか、法的に捕まるようなことは一切してないけども!

政治のお偉いさん方の中には「結婚して、子どもを育てないのは罪だ」みたいな言い方するときあるから、そういうククリでは、独身のおらは罪人!

まあ、それはおいておいて、本題は「何の罪もない***」という言い方について、書いてみるよ。

ニュースなどでこの「何の罪もない***」という言い方がされるときに、おらは、違和感を覚えてしまう。

たいていは、事件や事故や、あるいは戦争や、大きな天災・人災などの被害者が、子どもだった時に、この「何の罪もない***ちゃんが、なぜ死ななければならないのか」みたいな常套句に使われている。

この「何の罪もない***」という言葉は、いったい、どういう意味なんだろう。

「罪のない人が死んだから」悲しい。というのであれば、たとえば罪を犯して「服役している人たち」が戦争や火災や地震などで死んでも、悲しむ必要はないのか。

もしくは「幼い子どもが死んだから」悲しい。というのであれば、たとえば老人ホームで事件が起こって殺されたとしても、「老い先短い老人たち」だから、死んでも悲しくはないのか。

いやいや、それはあまりにも極論だよ、といわれるかもしれない。

だがしかし、この「何の罪もない***」という言い方は、そうした気持ち=「罪があったらコロされてもおk?」とか「幼くなかったら死んでもおk?」というモヤモヤを、おらに起こさせるワードだ。

そもそも、「何の罪もない」って、どういう意味で、罪がないのか。

法律的な罪を犯していない、という意味だろうか。

もし、そうならば、たいていの多くの、服役したことのない人たちは「何の罪もない***」の人たちだろうけど、そうした人が死んだ時に、この言葉を使うだろうか。

それに、法律を破らなかれば、「罪はない」と言い切れるのだろうか。

めったやたらに、蟻をプチプチつぶす子どもだったらどうか。

昆虫採集に夢中になってる子どもは、セーフだろうか。

カエルの尻に爆竹をつめて、パン!ってやって飛び散るさまを楽しんでいるガキは、この「何の罪もない***」には含まれないのだろうか。

というか「何の罪もない」なんて人が、この世にいるのかね、いやいない、というのが、おらの立場なのだけど。

肉も、魚も、野菜すら、食べ物を食べるという行為は、それはすなわち「命をうばって、自分の命をつなげる行為」なわけだけど、それは「罪」とはカウントしなくていいんだろうか。

ベジタリアンからしたら、そうしたものも「罪」と言っちゃうのではないだろうか。

おらがまだ子どもだった時に、閻魔様が出てくるアニメ(マンガ)に、「蟻を殺した罪」みたいなので裁かれているのをみて、自分も地獄行きになっちゃう!と思ったことある。

公園で草の下に蟻がいたとして、うっかりおらが踏み潰した時に、もしも蟻の立場だったら「何の罪もない、わたしの仲間たちが人間に踏み潰された!コロされた!いつか人間を駆逐してやる!」となるかもしれない。

だから「何の罪もない***」って、地球上の人類に、いるのかよ?って思ってしまう。

また、いると思っているのは、エゴなのでは、とも思ってしまう。

「何の罪もない、幼い、***の命を返せ!」という気持ちは、察することはできるけど、その言葉には、同意できないっていうか、上に書いたような疑問が湧いてしまう。

「わたしの大切な、***の命を返せ!」なら、とても分かるし、反論する隙は無い。

この言葉に、そんな印象を持っていた人がいるのかしら?

おらだけがひねくれたモノの見方なのかしら?

この「何の罪もない***」というワードを用いるときには、(わたしに同意して!賛同するでしょ!)という気持ちがあって使っていると思うけど、少なくともおらの中には、いつも「うーん…」と同意するのをためらってしまうワードなのだ。