何の罪もない***という言い方がキライ


おっす!おら罪人!

いや、野球賭博も、野球に関わりながら薬物依存とか、法的に捕まるようなことは一切してないけども!

政治のお偉いさん方の中には「結婚して、子どもを育てないのは罪だ」みたいな言い方するときあるから、そういうククリでは、独身のおらは罪人!

まあ、それはおいておいて、本題は「何の罪もない***」という言い方について、書いてみるよ。

ニュースなどでこの「何の罪もない***」という言い方がされるときに、おらは、違和感を覚えてしまう。

たいていは、事件や事故や、あるいは戦争や、大きな天災・人災などの被害者が、子どもだった時に、この「何の罪もない***ちゃんが、なぜ死ななければならないのか」みたいな常套句に使われている。

この「何の罪もない***」という言葉は、いったい、どういう意味なんだろう。

「罪のない人が死んだから」悲しい。というのであれば、たとえば罪を犯して「服役している人たち」が戦争や火災や地震などで死んでも、悲しむ必要はないのか。

もしくは「幼い子どもが死んだから」悲しい。というのであれば、たとえば老人ホームで事件が起こって殺されたとしても、「老い先短い老人たち」だから、死んでも悲しくはないのか。

いやいや、それはあまりにも極論だよ、といわれるかもしれない。

だがしかし、この「何の罪もない***」という言い方は、そうした気持ち=「罪があったらコロされてもおk?」とか「幼くなかったら死んでもおk?」というモヤモヤを、おらに起こさせるワードだ。

そもそも、「何の罪もない」って、どういう意味で、罪がないのか。

法律的な罪を犯していない、という意味だろうか。

もし、そうならば、たいていの多くの、服役したことのない人たちは「何の罪もない***」の人たちだろうけど、そうした人が死んだ時に、この言葉を使うだろうか。

それに、法律を破らなかれば、「罪はない」と言い切れるのだろうか。

めったやたらに、蟻をプチプチつぶす子どもだったらどうか。

昆虫採集に夢中になってる子どもは、セーフだろうか。

カエルの尻に爆竹をつめて、パン!ってやって飛び散るさまを楽しんでいるガキは、この「何の罪もない***」には含まれないのだろうか。

というか「何の罪もない」なんて人が、この世にいるのかね、いやいない、というのが、おらの立場なのだけど。

肉も、魚も、野菜すら、食べ物を食べるという行為は、それはすなわち「命をうばって、自分の命をつなげる行為」なわけだけど、それは「罪」とはカウントしなくていいんだろうか。

ベジタリアンからしたら、そうしたものも「罪」と言っちゃうのではないだろうか。

おらがまだ子どもだった時に、閻魔様が出てくるアニメ(マンガ)に、「蟻を殺した罪」みたいなので裁かれているのをみて、自分も地獄行きになっちゃう!と思ったことある。

公園で草の下に蟻がいたとして、うっかりおらが踏み潰した時に、もしも蟻の立場だったら「何の罪もない、わたしの仲間たちが人間に踏み潰された!コロされた!いつか人間を駆逐してやる!」となるかもしれない。

だから「何の罪もない***」って、地球上の人類に、いるのかよ?って思ってしまう。

また、いると思っているのは、エゴなのでは、とも思ってしまう。

「何の罪もない、幼い、***の命を返せ!」という気持ちは、察することはできるけど、その言葉には、同意できないっていうか、上に書いたような疑問が湧いてしまう。

「わたしの大切な、***の命を返せ!」なら、とても分かるし、反論する隙は無い。

この言葉に、そんな印象を持っていた人がいるのかしら?

おらだけがひねくれたモノの見方なのかしら?

この「何の罪もない***」というワードを用いるときには、(わたしに同意して!賛同するでしょ!)という気持ちがあって使っていると思うけど、少なくともおらの中には、いつも「うーん…」と同意するのをためらってしまうワードなのだ。

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