おっす!
おら名無し。
この手の話題は、ブログが険悪な感じになるから、あまり好きではないけども。
あえて。
栃木県(さくら市)と、三重県(大紀町)で、どちらも50代の教師が、授業中に「テロによって殺害された日本人の動画」を流したらしい。
なかなかにぶっとんだ教師がいるもんだ。
しかも、どちらも、50過ぎのベテランの先生がやっているというんだから…。
(,,゚Д゚)
もうちょっと「想像力」を働かせて生きて欲しいデス。
教壇ではなく、塀の中などで。
教師いわく「テロに屈しないために」とか、「許せない気持ちを感じて欲しかった」などと、教育的な理由から見せたらしいのだけど。
うーん、もうちょっと、考えて欲しい。
もし、テロによって殺害された映像をみることで、「テロに屈しない」とか、「許さない気持ち」を「教育」できるなのだとすると…。
想像してほしい。
たとえば、レイプの映像については、どうかね。
レイプの犯人が、女性をレイプするトコロを一部始終撮影していて。その動画の一部始終を、中学生の前で放映する。
泣き叫ぶ女性と、それを撮影するレイプ犯。
その映像を通して、教師は「レイプ犯に屈しないために見て欲しかった」という。
あるいは、「レイプ犯を許せない気持ちを感じて欲しかった」という。
もしも、そんな授業があったら、どうなのよ?
それって、教育的な理念とは、かけ離れているんじゃないのかね。
普通に、暮らしていれば、そのくらい、分かるのではないのかね。
「レイプ犯にレイプされる女性の姿」と、「テロの実行犯に殺害される男性の姿」。
どちらも、教育の現場で流す映像としては、相応しくない。
そうした「常識的な考え」というのは、50歳になっても分からないものなのかね。
そんな「常識的な思考」を分からない人が、「先生」として、人にモノを教えていて、いいのかね。
もしくは、普段は分かっているのかもしれないが、テロの映像に当てられて「怒りに我を忘れた」のかね。
怒りに我を忘れて、その怒りのままに、その怒りの元である映像を、授業に持ち込んでしまったのかね。
それこそが、テロの映像に屈しているのだよ。
怒りを生むために作られた映像によって、まんまと怒って、「テロは許せないからすぐに戦争だ!」ってなるのだよ。
テロも、レイプも、許せないのは同じだ。
しかし、その映像を見ることでしか、その気持を育てられないのかと言ったら、それは明らかに間違いだ。