アナタは優しい人ですね。と言われた時の返答にこまる。

おっす!おらやさしい悪魔!

悪魔だけど、たまに「アナタは優しいですよね」と言われたりスル。

この時の返答にこまってしまう。

たいていの場合は「そんなことないデス」とか、「全然、やさしくないデス」と答えている。

謙遜なのかというと、そうでもなくて、自分自身で「優しい」と思っていないから。

逆に「ええ、やさしいですよね」と返していたら、それはそれで、どうなのかとも思うけど。

いったい、どうこたえるのが、正解なんだろうか。

Friendly Face / 優しい顔
Masahiko Futami

おらが思うに、「アナタは優しいですね」と、最初に気づく人が、ずっと優しいのではないだろうか。

つまり、おらがやったコト=行為そのものは、どうでもよくて。

『おらがした行為を「優しさ」だと気づける人』が、すなわち優しいのだろうと思う。

ちょっとしたことを、優しいと感じるのは、優しさに敏感だからだ。

たとえば、おらが、Aさんに「ナニか」をしたとする。

おなじ行為の「ナニか」を、Bさんにもしたとする。

その時、Aさんは、おらに「優しいですね」と声をかけてくれた。

一方で、Bさんは、特に何も気づかないようで、声はかけてくれなかった。

すると、どうだろう?

おらの行為が優しいわけではないのがわかる。

この場合、Aさんが優しさに敏感なのか、あるいは、Bさんが優しさに鈍感なのか、ということになるだろう。

ということは、結論として、おらが優しいのではなく、声をかけてくれたAさんが優しかったわけだ。

これからは、「アタナは優しいですね」と声をかけられたら、すかさず「そう思う、アナタの方こそ優しいですね」と答えよう。

うん、きっと、これが正解なんじゃなかろうか。

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有名人による、エゴサーチRTが、よくわからない

おっす!おら名無し。

最近、有名人によるTwitterでのRTの使われ方について、疑問に思っていることをメモしておくよ。

◆有名人によるエゴサーチ

おらがフォローしている有名人は、エゴサーチをよくしている印象をもつ。

たとえば、有名人Xさんとしよう。

そのXさんは、Twitterでエゴサーチをしては、自分に対するツイートを探しだしているようだ。

ここまでは、分かる。

人気商売だから、自分のことが、どう評価されているのか、エゴサーチして気になっちゃう感じなのは、わかる話だ。

◆エゴサーチからのRTがわからない

そして、「Xさんのライブ素敵だった!」とか「Xさん、めちゃ可愛かった!」とか「Xさんの新刊買いました」などのツイートを見つけては、RTするのだ。

XさんのいちファンであるAさんや、BさんのツイートをXさんがRTするメリットが、どうしても見いだせない。

そこに書かれていることが、Xさんにとっても新鮮な驚きや発見につながるツイートなら、まだわかる。

でも、Xさんのことを、ただ褒めているようにしか思えないツイートを、RTするのは、なんなんだろう。

ともすれば、自画自賛ツイートなだけにも見えるわけで。

おらが、Xさんのファンだとして、おらにとってはAさんからみたXさんの評価は、まるでどうでもイイ話だし。

同じく、BさんがXさんを褒めたり、あるいはXさんの新しい何かを買ったよっていうツイートも、まるで同様に、どうでもイイ話だ。

Xさんは、ナニを共感してほしくての、RTなんだろう?

もしかして、XさんがRTしたAさんのツイートを、さらにファンがRTして拡散してくれることを期待しているのだろうか。

少なくとも、おらは、XさんがRTした自画自賛(?)ツイートを、さらにRT連鎖しようとは思わないんだけども。

RICOH CX1の修理と相棒感

おっす!おらRICOHのカメラすきっこ。

先日、デジカメを修理に出して、今日もどってきたところ。

そこで、修理したRICOH CX1について、ちょこっと言っておきたい。

2014-07-24 20.24.24

もう、このRICOH CX1を、何年使ってるのかな。

写真を見返してみたら、2009/03/15に、購入して、スパゲッティを撮影してたw

その時から、修理に出すのは、今回が初だと思う。

そしたら、なんだか「相棒感」が、増して帰って(返って)きた。

「相棒感」って、言葉は、『弱虫ペダル』というマンガが元ネタ。

小野田坂道の乗っている自転車について、鳴子章吉が言い表した言葉。

修理をすると、とたんに「相棒感」はアップする気がするんだ。

自転車を修理したときもそう思ったし、このCX1についても、そうだし。

デジカメが壊れた時って、新しいデジカメが欲しくなるトコロだけど、今回は修理して正解だったかもしれないな。

(GRやMX-1を店頭にチェックしたりもしたけども)

そして、最近は、iPhone5ばかりで撮影している浮気者だったりするがw

また、これからも、よろしく頼むよ。

相棒。

背中の補給食かっちょいい

おっす!おら弱虫ペダルのファン!

弱虫ペダルでは、好きなシーンが沢山あるんだけど、今日は、補給食について書いておきたい。

まず、補給食とは、どういうモノかとういと、こういうモノ↓(弱虫ペダル15巻)。

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上で補給食を食べているのは新開さんというキャラクターだ。

彼は、弱虫ペダルに登場する「箱根学園」のエーススプリンターで、つねに、何かしらをもぐもぐ・サクサクしながら、レースを走っている。

補給食というのは、長時間の自転車レースでは、カロリーを摂取しながら走らないと、エネルギーが切れて、動けなくなってしまうそうで。レース中にも、2000kcal以上のカロリー摂取をするんだって。

ちなみに、マンガでは、POWER BERと書いてあるけど、コレは『PowerBar(パワーバー)』という商品名をもじっているようす。

新開さんは、とにかく、ずっと、もぐもぐしているのだけど、この、背中から食料を取り出すシーンが、とくにおらは大好きだ。

実際に、ツール・ド・フランスの選手でも、このように、背中のポケットに食料をつめこんでいる。

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引用:NBS創設記念!! ツール・ド・フランス2013フォトリポート・第1ステージ(和田やずか)

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引用:補給食のバナナを背中のポケットに詰め込むアレッサンドロ・バッラン(イタリア、ランプレ) 

(・∀・)イイね!!

こういうシーンは、なんだかかっこよく感じる。

子どものころは、歩きながら食べるのは「行儀が悪い」と教わっていたので、ずっと歩きながら食べる行為はしなかったのだけど。

最近は、この「背中の補給食」に憧れている。

とは言っても、シャツの背中に大きなポケットをとりつけるわけにもいかないので、おらは小さなバッグに食料をつめこんでいる。

おらの食料は、『パワーバー』ではなく、『ソイジョイ』だけどもね。

ソイジョイをバッグにつめこんで、それをあえて背中側に持って行き、その状態のまま手探りにソイジョイを取り出して、もぐもぐと食べる。

これが、カッコイイと思っている。

アホくさいくらいに、子ども目線だけど、そうした「気持ち」でソイジョイを食べているコトは、周りの人には全くバレていないから、問題ないのだった。

amazon: 弱虫ペダル15巻

ハンドルネームとペルソナ-Google+の本名縛り解禁について

おっす!おら名無し!

名前なんて飾りデスよ!と思っているタイプ。

でも、ネットで実名を使うことには抵抗感があるよ。

そのあたりを、Google+の名前について、書いてみる。

Mask / お面
sakichin

◆本名を強制していたGoogle+が方向転換

最近のニュースで気になったのがこれだ。

Google+は、ずっと、本名を強制していたネットサービスだ。

一応、アカウントとしては、おらも持っていたけど、さっぱり使っていなかった。

また、本名以外でも、前から利用している人はいたはいたけども、それって「抜け穴さがし」であって、おおやけに「これは仮名です」といえなかったわけ。

もし、Googleの中の人にバレたら、即アカウント停止とか、退会とか、とにかく強行的な動きが目についた。

だから、おらは、Google+には近寄りがたかった。

「なんで、本名を公開しないといけないの?」って。

◆本名を名乗ってもいいし、名乗らなくてもいい

ネット上で、本名を名乗っている人もいる。

おらは、ネット上では、本名を極力出したくないのだけど、Google+では、それが強制されていたわけだ。

これが、いやでいやで、仕方なかった。

なぜ、イヤなのか?

オンライン上で、本名を名乗るというのは、ある意味「勇気」がいることだ。

もしくは「無謀」かもしれないけども。

とにかく、ノーガードでネットで出歩いていることになる。

それでも、何とも感じない人もいれば、ノーガードでネットを歩くのは「こわい」と感じる人もいるだろう。

おらは、こわい。

本名でネットをうろつくなんて、こわくて仕方ない。

◆たとえ:「ペルソナ」または「お化粧」

おらは、ネットで本音トークができる時がある。

それは、本名を明かさないからこそできる、というのがある。

いわゆる「外面」を、ネットではハンドルネームを使うことで、「ペルソナ」を装備して、利用することできるからだ。

本名では、これら「ペルソナ」を装備することができない。

「ペルソナ」がわかりにくいとしたら、「お化粧」と言ってもいいかもしれない。

女性は、お化粧なしでは、外を歩けないと感じる人も多いときく。

本人は本人なのに、外を歩くときは「お化粧」をする。

「お化粧」することで、安心して、自信をもって、歩くことができる。

これと似ているのではと、おらは思う。

ネットを歩くときは「ハンドルというペルソナ(仮面)」を身に付ける。

そうすること、本音トークをすることも、自由にできる。

◆本名とハンドルを結び付けられる

ネットのサービスで、本名とハンドルを結び付けられることがある。

本名を知っているリアルな知人(オフライン)とやりとりする、「サービスA」があったとして。

それが、いつの間にか、ネットのオンライン上でのやり取りしている人との間のツールになっていたりする。

もともと、知人とやり取りするために利用していたわけだから、そちらは「本名」である。当然だ。

一方で、オンラインでのやり取りしていた人とは、「本名」を交換していない(ことが多い)。

だから、リアル知人(オフライン)と、ネットの知人(オンライン)とで、ごっちゃになると、とても使いにくい。

おらの中では、そういうサービスがいくつかある。

Google+、Skype、Live、LINE、とかか。

複数アカウント作るのがやっかいだったりすると、もう、さらに(‘A`)マンドクセ。

ネットサービスであっても、おらは、これらは「本名」でやってたりするので、「リアル知人(オフライン)」用のアカウントなのだ。

だから、これらの利用は慎重になっている。

グループチャット的な機能は、これらのサービスにはあったりするが、「本名でチャット」なんて、まるでスル気が起きない。

Google+しかり、LINEしかり。

尻込みしまくりんぐである。

◆結論:ネット弁慶

ネット弁慶は、こうして、さらに磨かれていくのであった。

相手が「安心する」話の聞き方について

おっす!おら、研修が終わってほっとしている人。

研修のときには、「面談」があったりして、長時間おらから先生や上司に、話を聞いてもらうことあった。

その時に、感じた、相手が「安心する」話の聞き方について、メモしておこうとおもう。

Bible, Reading Glasses, Notes and Pen
Paul O’Rear

今回の研修では、おらが面談した「先生」は、いわゆる講師として「教壇に立つだけの先生」ではなくて、心理学やらカウンセリングの資格もあるような「心の先生」でもあった。

この「心の先生」について、面談のたびに『おらの話を、ちゃんと聞いてくれている』と感じていた。

なぜ、そう感じたのか、いくつかポイントがあるのだけど、今回は「話を聞くときのツール」にしぼってみたい。

◆話を聞くときの、紙とペンの使い方

おらが社会人一年目のときに、叩きこまれたのが「メモを取ること」だった。

上司から「ちょっと」と呼ばれた時には、必ず、紙とペンを持って行き、指示されたことをメモするようにと、教わった。

それからというもの、おらのメモ魔は、自分の公私ともにツールとして役立っているのだけど。

今回、「先生」との面談で、感じたのは、「先生のメモの取り方」が、相手(=おら)を安心させるツールとして、一役買っていることだった。

ここで、たとえ話をしよう。

あなたが、病院に行って、医師に診断してもらうときのことを思い浮かべて欲しい。

もし、病院の先生が、全くカルテ(メモ)をとらない人だったとしたら、どう感じるだろう?

患者であるあなたが、一生懸命、病状を説明しているのに、医師が何も書かずに、話を聞いているだけだとしたら…。

きっと、「わたしの話を聞いているのか不安になる」だろう。

そう、医者は、カルテを書くことで、患者に安心感を与えているのだ。

おらが、子供のころに、診断をうけた病院の先生は、ドイツ語でカルテに書き込んでいた。

おらは、子どもながらに、おらが話したことを、すらすらとカルテに書き込む先生の姿を「カッコ良い」と思ったものだ。そして、いま、思い返すと、「自分の読めない外国語ですらすら書くなんて、頭がめちゃめちゃよくて、さらに安心感アップ」と感じていたのだ。

このように、メモをとりながら、相手の話を聞くということは、「忘れてはいけないことをメモしている」という大事な面がある一方で。

逆の立場で言えば、話をしている側からすると、「相手がちゃんと、自分の話を聞いてくれている」という、印象をもつことができるのだ。

◆メモするときは、A4用紙を、1枚使う

メモを取ろうというのは、ある意味で、基本的はことである。

それこそ、社会人一年目に言われることのように、基本中の基本だ。

しかし、おらは、さらに、「相手と話をするときのメモ紙」についても、言及したい。

  1. A4の紙を用意する
  2. まっさらな紙を1枚用意する

この2点が、大事なポイントだと思っている。

1点目は、ある程度の大きな紙が必要であるということ。

もし、メモする紙がないからといって、くちゃくちゃのレシートやら、小さな付箋紙にメモとられたら、どうだろう。

それで、話している方が安心するかといえば、その逆でしかなく、「そんな紙にメモしても、どっか無くしちゃうんじゃ?」と、不安にさせてしまうのだ。

紙は、A4くらいのサイズが、ベストだと思う。

さらに、2点目は、ノートではなく、1枚ずつバラバラになるような、ルーズリーフ、もしくはレポート用紙のように、完全に独立する紙が必要であるということ。

おらは、ノートではなく、この1枚の紙に書くことが「安心感をアップさせるポイント」だと感じた。

つまり、いまから、このまっさらな紙に書くことは、あなたが話したことだけをメモしますよ、というアピールになるのだ。

もし、あなたが複数の人と「真剣な話」をすることがあるのなら、その時は、一冊のノートにAさん、Bさん、Cさんのことを書くのではなく、一人ずつ一枚の別の紙に書くというのが、より安心感を与えると、おらは考える。

カウンセリングやら、病院の先生やら思い浮かべてほしい。

たくさんの人と話をすることになる職業の人は、被験者(あるいは患者さん)の一人ずつのカルテがあり、それに挟めるように、用紙を一人ずつ分ける必要があるわけだけど。

これが、話している側からすると「わかってもらえる」気になるのだ。

「わかってもらえる」を漢字で書くと「分かってもらえる」となり、つまり、自分とそれ以外の人とは「分けて・あなたの事を扱いますよ」というような印象を受けるのだ。

だんだんと、精神論のようになってきたけど、おらは面談中に、この「紙の使い方」は、とてもよい印象だった。

もし、面談の「心の先生」が、一冊のノートにメモしていたとしたら…今回の面談でうけたときの「安心感」は、感じなかったかもしれない。

◆まとめ:聞き手も、受け手も、メモが大事

真剣に話を聞こうと言う時は、聞き手も、受け手も、メモが大事だということである。

さらにレベルアップするなら、そのメモした内容を、話し手に指し示しながら、別の角度の質問を投げかけると、いいだろう。

「この人は、自分の話をちゃんと聞いた上で、さらに自分には見えなかった視点で、物事を捉えている!」と、安心感がアップすること、間違いなしだ。

そして、この、普段メモする習慣があるという「お約束」が、二人の関係性で築いていた場合には、逆に「オフレコ」の話もできるというものだ。

つまり、いま、これから話すことは、メモをしないかわりに、さらに突っ込んだ、深い話ができる、という意味で。

以上、研修をおえて、メモの取り方について感じたことを、忘れないように、メモしてみた。

石けんで顔を洗う思い出

おっす!おら、朝から血だるまっこ!

先日、電動カミソリを、洗濯機に入れて壊してしまったからというもの…T字のカミソリを使っているのだけど。

やっぱり、思ったとおりの、予想どおりに、案の定、カミソリ後に血だるまだよ。

いまも、顔を剃ったところ、顔から首にかけてのところが、血がだらだらと流れている。

が、その所作の前には、石けんの泡で、顔を包むのだけど、その顔をみていて、石けんの思い出がよみがえった。

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質問: 石けんで顔を洗った時に、目を開けられる?

おらは、あけられない。

意味不明な質問に思えたかもしれないけど、石けんで、顔を洗うときに、目が開けられる人がいる。

おらの父親は開けられる。おらは開けられない。

まだ、子どもだったころ、父親と一緒にお風呂に入ることがあった。

父親は、石けんの泡立て方は、手の中で石けんをきゅきゅっとまわすようにしながら、綺麗に泡立てるのだが。

それを顔にゴシゴシと塗りたくって、その後、ぱっと目を開けるのだ。

おらには、それが信じられなかった。

目の周りには石けんだらけなのに、それを拭うことなく、目を開ける。

そして、そのまま、ひげを剃る。

おらには、「石けんが目に入ったらしみる」とわかっているから、目が開けられない。

父親が言うには、「石けんの泡が垂れてこなければ、目は痛くない」とのことだが、それが、真似できん。

いや、一度か二度くらいは、そうやって、石けんを顔につけたまま、目を開いたこともあるけども。

これって、男性だけの経験なのかな。

女性も、石けんでゴシゴシ顔を洗って、そのまま目をあけたりすることって、あるのかしら?