クールビズズボンボタン

おらがはいてるクールビズのズボンのボタンについて。

この写真のようにボタンが3つある。

クールビズズボンボタン

なぜ3つもあるのかは不明。

ちなみに、スーツのズボンのボタンは2つ。

ジーンズの場合は1つ。

この第三のボタンの使い道が分からないでいる。

これだと、うんこが急にしたくなったときに、慌てるではないか!

150cmライフ。40cmライフ。

たかぎなおこ(著)『150cmライフ。』というコミックエッセイを読みおえた。

背の小さい著者が、地上150cmの高さからみたあれやこれ、感じたりした気持ちをつづったエッセイだ。

おらの身長は177cmだし、女性でもないので、このマンガを読んでいて「あるある」という共感する場面は、正直なところほとんどない。

でも、この本はとても面白かった。

150cmライフ

150cmと、ちょっと小さいだけで、そこで感じる世界は、おらとはだいぶ違うみたいだ。

この本には「胴の長さに憧れる」という話がある。

おらには全く意識したことがないコトだが、150cmの著者には、胴の長い女性が「大人の女性」に見えるのだという。

性別も違うし、身体の大きさも違えば、やっぱり、意識する世界は違うのだな。

本は、自分とは違った世界をみせくれて、気づかせてくれるのが、おもしろい。

◆40cmライフ。

そして、150cmからさらに小さくなった40cmライフ。

40cmライフの住人は、ぬこの目線のことである。

昨日、駅からいつもと違う道を帰ってみたら、一匹のぬこが歩いているのを見つけた。

ぬこは、ゆっくり、ゆっくり、歩いていた。

そのスピードにあわせて、おらも、ゆっくり歩いてみた。

ぬこが見ている目線にあわせて、ちょっとしゃがんでみたりもした。

ぬこは、おらに気づいているようで、でも、足を急がせることもなく、マイペースでテコテコ歩いていた。

人間の作った「アスファルトの道」も歩けば、その横にある草木の生えた「ぬこの道」も歩く。

ぬこの彼が見ている世界は、おらとは、やっぱり違う。

同じ世界に住んでいて、同じような道を歩いているけども、感じている世界はやっぱり違う。

ぬこだけではなく、みんなそれぞれ、同じ世界に住んでいながらも、感じている世界は違うんだな、と。

2

クールビズ以前の夏の思い出

日本のクールビズが、いつまでたっても中途半端な感じがするのはナゼなんだぜ?

日本の政府が「クールビズ」と言い出したのは、2005年の頃からだという。

おらが、新卒として社会人デビューしたころには、日本にクールビズというモノはまだ無かった。

当時、夏でもスーツが、サラリーマンの基本の服装だった。

客先に行く時はスーツで外出して、自社にもどると上着をぬいで、クーラーガンガンの室内で涼む、というのが日常の光景だった。

室内で、事務職している女性のみなさんは、相当に寒かったみたいだ。

外出から戻ってきて「暑い暑い」という男性たちの感じる快適な温度は、かなり強めにクーラーを冷やしていたと思う。

◆スーツをぬぐということ

おらは、スーツは基本的に苦手であり、できることなら着たくない。

しかし、同時に「スーツの上だけぬぐ」という格好が、どうにも好きになれない。

美的センスの問題なのだが、スーツの上だけ脱いで、ワイシャツだけの姿はカッコ悪い、と思う。

最初から、ポロシャツや、Tシャツなら、全く問題ないし、むしろ、おらは、その格好が好きだ。

でも、スーツは、違う。

スーツは、鎧のようなモノだと思っているので、上だけ脱ぐのが、どうしても格好悪いとみえてしまう。

◆新卒の思い出

新卒だったおらが、先輩サラリーマンについて、営業に行った時のことだ。

その人は、夏でも、外出先ではスーツを脱がなかった。

おらには、それがカッコよく見えた。

まあ、その人も、自社に戻ったときには、スーツの上だけ脱いでいたのだけども。

おらは、その先輩をマネすることにした。

当時、夏でもずっとスーツを脱がなかった。

客先はもちろんのこと、自社にもどり、自席で仕事をするときも、スーツを脱がなかった。

まわりからは「変わってるな」と言われてたが、それでもスーツを脱がなかった。

スーツを脱ぐのは、家に戻ってからだ。

家に戻ったら、Tシャツに短パンだ。

そのくらい、涼しいカッコをするのが好きだ。

でも、やっぱり仕事の時は、スーツを上下きっちり着ていた。

仕事のオンとオフを、服装で調整していた、ようなものだ。

◆現在のクールビズ

クールビズは、2013年の日本には、やっぱり必要だと思う。

28度に設定された室内で、スーツ姿で過ごすのは、さすがに暑い。

でも、クールビズの定義はとてもあいまいで、「こういう格好がザ・クールビズだ」というのが、わかんないのも事実だ。

そして、クールビズがあいまいなのにもかかわらず、今度は「スーパークールビズ」なるものも登場し、さらに、事態は混乱している。

スーパークールビズだと、ポロシャツもOKだし、アロハももちろんOKだし、チノ・パンでも、スニーカーでもいいらしい。

ひょっとすると、タンクトップや、ビーチサンダルや、浴衣や、ふんどし一丁でも、大丈夫かもしれない。

おらは、今の会社にきて、初めてのクールビズ期間に突入したのだが、いまだに夏用スーツの上下で出勤している。

チノパンはセーフなのか、ポロシャツはアウトなのか、よくわかんないというのもあるし。

こうして、本日もスーツで出勤してきた。

しかし、そんなおらでも、土日出勤の時には、ジーンズにジャケットだったりするのよね。

お客様に会うワケではないので、そんなカジュアルな格好で出社しても、特に構わないんだ。

(*´艸`*)ムフフ

そういえば、金曜はカジュアルファッションでよいという風潮(?)が、以前にはあったと思うのだけど、最近全く聞かないな。

あれはどうなったんだろう?

お客様は神様ではない。王様である。

先日、乙武氏が、車椅子を理由に入店を断られたという料理屋があり、それをツイートした件について。

おらは、どっちもどっちであると思っている。

乙武氏にも落ち度はあるし、レストラン側にも不備があったと思う。

しかし、この件について、「(お客様は神様なんだから)レストラン側が一方的に悪い」という感想を書いている人がいた。

それは違うだろうと、おらは思う。

どうにも、この「お客様は神様だ」的な発想が、おらは好きではない。

むしろ、反吐が出るくらい嫌いかもしれない。

最初に、この言葉を広めた、三波春夫を、おらはずっと好きになれないと思う。

◆お客様は王様である

おらの好きなテレビドラマに『王様のレストラン』というのがある。

三谷幸喜が脚本を書いた連続テレビドラマで、つぶれかけているフランス料理店を、伝説のギャルソンがたてなおそうとするストーリーだ。

その1話目で、伝説のギャルソンこと千石さん(松本幸四郎)が、次のようなセリフをのべる。

わたくしは先輩のギャルソンに、 お客様は王様であると教えられました。
しかし、先輩は言いました。
王様の中には首を刎ねられた奴も大勢いると。

王様のレストラン – Wikipedia

こう言って、千石さんは、失礼なお客を追い返すのである。

おらは、このセリフが好きで、事あるごとに、よく思い出す。

また、この姿勢は、とても正しいと思う。

日本では、とかく、お客様は神様扱いされて「当然である」というフシがあるが、そうではないと思う。

現実的な話をすれば、費用対効果を考えるべきだ。

支払った金額分が、お客様の「価値」だと思う。

それ以上でも、それ以下でもないのである。

神様のような「絶対的な価値」は、お客様にはないのである。

お金でその地位を買っただけの、インスタントな王様なのである。

願わくは、裸の王様にならないことを。

モバイルダメだ

iPhoneのSafariから、このふブログを更新しようとしてるけど、めちゃくちゃ。

くとて、、まともにほんとかにほんもごこにゅうやよひろくできなあ。

あたまがおかしい人みたいなぶんきょしょうに急になる。

iPhoneアプリは立ち上げることすらできないんだげせ。

 

WordPress、ここまで、入力だめなのか。

るんどうなってるんだ?

読むのはNisshi。書くのはTumblr。

また、あたらしく、ブログを作ってしまった。

Tumblrでは二つ目のアカウントで、今回はおもに、テキストメモのブログにする予定。

みかかもい
http://mikakamoi.tumblr.com/

それにあわせて、Nisshiの更新をやめた(2013-05-14)。

おらが、Nisshiをやめた理由は、Nisshiの利用規約と、おらが書きたい内容とが相容れなくなったからだ。

5.会員は、コメント等の内容に責任を負い、また以下に掲げる行為を行わないものとします。以下に違反する投稿は、発見しだい削除し、場合によってアカウント凍結を行います。

24.薬物、アルコール、タバコに関連した内容を書き込む行為

Terms of Use – Nisshi 第5条(本サービスへの投稿)
https://nisshi.in/html/legal

おらは、お酒が好きだ。

お酒を飲んだ感想を書きたいときもある。

そうしたときに、NIsshiに書くことは、利用規約的にNGだ。

NGなところにしがみつくのはやめて、Tumblrにうつって自由に書くことにした。

Tumblrは、いままでリブログ用に利用していたアカウントがあった。

しかし、こんどの新しい方のブログでは基本的にリブログはせず、Nisshiのあとがま的な感じに使ってみたい。

画像

更新は、iPhoneのアプリからも簡単にできる。

Tumblrのアプリって、ホントにシンプルで使いやすくて、これだと、ブログの更新もらくらくちんちんだなあーと思う。

特に、おらが気に入ってるのは、ブログのタイトルは無くてもいいところ。

ブログは何気にタイトルにこだわらないといけないのだけど、ここを考えなくてもいいのは、心的ハードルが低い。

つまり、更新しやすさにつながると思う。

ただ、Nisshiと違って、他の人が、どんなテキストを書いているのか、よくわからないのが難点かもしれない。

そこで、おらは、Nisshiで他の人の日誌を読むのは続けつつ、自分の発言はTumblrで地道にやることにした。

あと、TumblrはRSSをはきだしてくれるので、いつものように、Evernoteに突っ込むようにしている。

そのあたりは、前に書いたことがあるので→LOGPI!(ログピ)のログをblogtrottrを使ってEvernoteに保存するメモ

Tumblrでの更新が増えたら、WordPressに書くことなくなっちゃったりするのかしら?

更新をやめてしまったので、Nisshiの利用規約はすでに関係ないのだけど、書きたいことが大きく制限される規約は、利用者は使いにくいと感じるかもね、と外側からみたϕ(・ω・ )メモ。

裁判所へ行こう

と思って、先日、裁判所に行ってきた。

裁判所へ行くのははじめて。

被告人でも、原告でもなく、たんなる見学者として裁判を傍聴してきたので、そのことについてまとめてみる。

naruhodo2

◆裁判へ行くきっかけ

もともと、裁判には興味があった。

ゲームでは、逆転裁判シリーズが好きだし、映画では『12人の優しい日本人』をみたり、書籍では、よりみちパン!セ『気分はもう、裁判長』を読んだりしていた。

それとは別に、Nisshi.inで、裁判のことを書いていた人がいて、その文を読んで刺激を受けて、足を運んでみたしだい。

◆裁判所へ入ってみよう

裁判所は平日の午前と午後にわかれてやっているのは知っていた。

当日は、新橋でお昼を食べてから、午後一番の裁判を傍聴することにした。

最初、東京の家庭裁判所へ行ったのだけど、当日は公判が無く、東京高裁へと案内された。

デジカメの持ち込みがNGなのは知っていたのだけど、普段からデジカメを持ち歩いているので、その日も持っていた。

飛行機の搭乗チェックのような場所があり、金属物をだしたり、カバンを検査機にかけたりする。

その場所で「デジカメ持ってきてしまったんですが、預けるんでしょうか?」と聞いたところ、ガードマン(?)の女性は「カバンから出さなければいいですよ」とのことで、通してもらえた。

もちろん、撮影は一切していないので、この記事には写真がない。

◆傍聴してみよう

東京高裁へ入ると、受付のカウンターがあり、そこに本日の裁判のリストがバインダーにとじられている。

それを自由に見ることができ、裁判を傍聴できる。

某NTTの文字がみえたので、そこへ行ってみることにした。

傍聴席にはいるときは、傍聴の心得のようなものが掲示されていて、寝ちゃダメとか、うるさくしないとか、書かれている。

緊張しながら、扉を開けると、立ち見が出るほどの大盛況。いや、裁判の傍聴で、大盛況って言って良いのかわからないけど。

時間的には、裁判がはじまったばかり。おらが入る数分前からスタートしてた。

が、裁判長はなにやら、次回の裁判の日程を決めはじめた。今日は、証拠を受理して、日程を決めただけみたい。

肩すかしをくらったようだが、おれの、最初の裁判の傍聴はこうして数分で終わった。

◆わいせつ罪の裁判を傍聴する

その後に、わいせつ罪の裁判を傍聴してみた。

こっちは、中国人のマッサージ士が、女性客にマッサージをしていたところ、むらむらして、えろいことをしたという罪。

逆転裁判のような、裁判長が木槌でカン!ってやることもないし、成歩堂くんのような弁護士が「異議ありっ!」て叫ぶシーンもないし、検察官が鞭を振り回すこともない。

裁判長はひげをたくわえてつるっぱげ、ではなく、若い女性の裁判官で、30代になるかならないかくらいに見えた。

その裁判官の進行のもと、たんたんと、犯行の状況を確認していく弁護士。

わいせつに及ぶまでの話はながく、被告人が日本に暮らし始めるところから、職を転々とする話やら、ずっと続いた。

裁判は、おらにとっては、「非日常」の世界だが、裁判官や検察や弁護士は、いつもの「日常」なんだろうなというのが、なにか、ゾッとした。

また、聞いているウチに、事情を説明している被告人と、なんだか気持ちがシンクロしてくるような感じがして、これまた、ゾッとした。

おらが、その場面にいて、同じように女性をマッサージしてて、むらむらしたら、犯罪をおこすのだろうかと…。

おらは、ずっとずっとメモしていた。速記の書記官と同じようにメモしていたのは、おらだけだった。眠っている人もいたし(居眠りは禁止なのに)。

おらが、裁判の被告人になるか、原告になるか、または陪審員になるかは分からないが、できることなら、この空間にはあまりきたくないと思った。

今回のように、傍聴人としての裁判所と、実際に当事者になったときとは、まるで違って見えるんだろうなと、想像した。

裁判所は、人生の色んな人が交差している場所だ。

この時の裁判所に行ったときのメモを、また読み返すときに、それを思い返すのだろう。

◆裁判所へ行こう

だれにでも裁判所の陪審員になる可能性のある昨今、一度は裁判所へ行ってみるのをすすめたい。

そして、もしかしたら、陪審員制度を見なおしてほしくなるかもしれない。

おらは、人が人を裁くって、素人が判断するのは、なかなか難しいのではないかと思えた。

本だけでは分からないものを体験したことは、よい体験だったと思う。