おっす!おら坊主あたま!
最近なんだか流行っていることを「坊主」の目から眺めてみるよ。
■坊主と反省
先日、あーかーばーの、なんちゃらみなみという人が坊主になった。
あ、坊主というか、女性だから尼さん?
理由はなんでも、お泊まりデートをスクープされたことを「反省」しての、坊主頭(尼頭?)らしい。
坊主頭になった姿をゆーちゅーぶにアップしたんだってね。
そのパフォーマンスなんなのかしらね?
でもでも、すぐに坊主頭は隠しちゃって、頭にカツラを被って活動してるらしいけどね!
おらは、なんで坊主頭=反省なのかっていうのが、よくわからない。
あれか、囚人生活するときの坊主頭が「坊主=反省」のイメージなのかな。
おらが坊主頭にしたときも、まわりからの反応は「何かやらかしたの?」って聞かれたわ。
■反省と体罰
話は変わって、反省と体罰の問題について。
大人がしかるときに暴力をふるう「体罰」を、いままでは「愛の鞭」とかなんとか詭弁を使って、正当化してきたのが、いよいよそれっておかしいんじゃね?という時代になってきたのかな。
報道のきっかけは、高校の教師の問題だったが、その後にオリンピックの柔道だとか、オリンピック競技へも波及してきたりして、どこまで行くんだ?っていう状況になってる。
「体罰をどんどんやろうぜ!」って指導していた大阪の橋下某市長も、世間の風向きが変わったのをすぐに感じ取って「体罰はしちゃいかん」ということを言ったりしてね。
あんたが一番先頭を走っていたんじゃなかったっけ?みたいなね。
マンガ『AKIRA(1)』で、金田ら不良生徒たちを、生徒指導のせんせー(体育教師)がぶん殴るシーンがあるんだけど、こういうのが「指導」だと勘違いしている大人は、いまでも本当にたくさんいるんだな。
で、こうやって「指導」うけた「生徒」たちは、反省するかというと…。
「アゴーッ」「腐れて死んじまえー」「いい気になンじゃねェぞォ アゴォ」ですわ。
反省をうながすのに体罰はなんにも役に立たないっていうのは、AKIRAで1コマでわかっちゃう。
■体罰と高校野球
高校野球でも、体罰はくりかえされてるっていうのは、もはや常識だったと思う。報道されないだけで、みんな知ってた。
みんな知ってて黙ってた。
「それが当たり前」だということで。
そういえば、相撲の世界でも体罰って問題になったよね。
2007年に、力士が部屋を辞めたいとかなんとか言ったことで、親方や先輩力士たちが竹刀などで殴ったりけったりして、あげく死亡させたニュース(時津風部屋力士暴行死事件 – Wikipedia)。
あのとき、相撲を管轄している文科省が動いたわけだけど、その時に相撲の世界だけじゃなくて、学校関係も調査しておけばよかったのにね。
いや、そもそも「いじめや体罰を無くしたい」って、本気で取り組むつもりがなかったんかな。
■高校野球と坊主
高校野球のもう一つの当たり前が「高校球児は坊主である」なんだと思う。
これって、おらはすごく変で、気持ち悪い習慣に思うんだけど、野球少年はなぜか坊主頭が当たり前だよね。
小学生のリーグの頃からそうだし、中学でも高校でも迷わずなぜか坊主頭が推奨されるっていうか。
でも、野球のトップであるプロ野球では、坊主頭を強制されてないところをみると、別に「野球の伝統は坊主である」ってわけじゃなさそうだしな。
これも、なんだか変だなぁ…と。
軍隊や囚人じゃないんだから、丸刈りが原則っていうじゃなくて、好きな髪型でスポーツしてもいいと思うんだよね。
■髪型は自由に。もっと坊主頭に!
おらは、坊主頭が好きだ。
とても楽だし、とても気に入っている。
けども、とかく坊主頭は「マイナスイメージ」をもたれやすい。
上記に書いたような、坊主頭からはじまる一連のイメージも、少なからず影響してるんじゃないかなぁ。
結論は、「自分から選んで、もっと坊主になろうず!」って言いたいだけだったりする。