Wassrが終わって「よかった」と思うこと


おっす!おらわさらー!

2012年を振り返るとなると、やっぱり、Wassrが終わったことがあったなぁ…と。

ということで、おらなりに、いま、Wassrについて振り返ってみるてst。

wassr忘年会の思い出

Wassr忘年会の思い出:ダンボーとタチコマ / 2012-12-15 (土) 20:15

◆Wassr終了についての公式コメント

先日、次のような記事が載っていた。

Wassr、カレログ、“サービス終了”の理由とは?|【Tech総研】

日本製Twitterとも呼べる「Wassr」。Twitterの日本語版がまだなかった2007年にリリースされ、充実した機能と楽しい仕掛けで人気が上昇。エンジニアやギークからも愛された。そのサービスが10月1日に終了。立ち上げから参加した木村岳文氏と、ユーザーから開発者へと転じた大濱健治氏が語る。

まあ、内容はあちらで読んでもらうとして、Wassrの中の人の公式なコメントって、ここくらいでしか読めないんじゃないかしら。個人的なブログやTwitterでは読んでいたのだけども。

おらとしては、Wassrが終わることで、さんざん「残念だ」って言ってきたので、あえて「よかった」と思うことはナニか?と考えてみたい。

◆Wassrが終わって「よかった」こと

答え:Wassrが中心の生活でなくなったことで「自由」になる。

おらは、自称ヘビーわさらー(Wassrユーザ)だった。

なので、Wassrに関わる時間がかなり多いほうだった。

どこかへ行くには、ケータイからWassrのページをチェックし。

そこで写真を撮影して、Wassrへアップし。

さらに、その投稿したネタに「イイネ!」がどれくらいつくかを確認し。

さらにさらには、その一日で、「イイネ!ランキング」に入るかどうかをみるなど。

まあ、生活の中心がWassrをチェックすることで回っていたような部分があった。

2012年は、それでもだいぶWassrへの投稿は減っていたのだけど、それでも、多くの時間、いつでも、どこでも、Wassrを確認し続けていたように思う。

それが、7月に入り、Wassrが終わるというアナウンスがあって、おらはWassrの依存度を急速に下げていった。

Wassrが終わるとアナウンスされてから、実際にサービスが終了するまで、三ヶ月ほどの猶予があったので、その間に、ちょっとずつ、Wassrをやめていった感じだ。

たとえば、タバコをやめるときに、急にやめずに、徐々に「禁煙」するのと似ているかもしれない。

ヘビースモーカーも、少しずつタバコの本数を減らして、最終的には、タバコをなしでも生活が送れるようにする、みたいな。

おらも、Wassrがなしでも生活が送れるように、少しずつWassrに関わる時間を減らしていき、そういう身体とメンタルに慣らしていった。

そして、Wassrが終わるという最終日には、「とても残念なきもち」もありつつ、Wassrが無くなっても、うろたえたりしないようにはなっていた。

そして、振り返ってみると、Wassrがなくなったことで、「自由」にもなった。

Wassrに関わっていた時間は、無駄ではなかったし、とても楽しいものだったし、おらにとって重要なやりとりではあったのだけど。

Wassrがネットから無くなった今は、Wassrがおらの中で占めていた重要度と時間の分だけ、逆に「自由になった」ように思える。

ま、あえて、Wassrが無くなったことを「プラスに考える」という思考の出発点からだした結論だけどもね。

いま現在、Wassrのユーザはあちこちにバラバラのサービスに分かれてしまった。

わさらーの中には、Google +に行った人も、わりと多くいる。

が、おらはGoogle+を第二のWassrのようには利用していない。

Wassrが無くなった今は、「見るのも見ないのも自由」なのだ。

依存度が減って、バランスがとれているように思える。

先日のWassrの忘年会が開催されて、おらも参加してきた。

忘年会はとても楽しかったが、早くも、おらの中では「卒業した母校」のような存在になってきているように感じた。

最後に、おらがWassrで最後にしたつぶやきをコピペしておこう。

kemeko縁があってわっさーに集ったわさらーたちよ。縁があるんだからまたどこかで逢いましょう。でわ。
by iMaka at 2012-10-01(月) 11:58:33

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