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岳18巻の感想と愚痴っぽいもの

おっす!オラマンガまにあ。マンガをよむのがすきなんだ。

ここで『岳 (18)最終巻』の感想をメモしておこうとおもう。

【注意】壮絶ネタバレあり!

さて、まずは、『岳』の最終巻おつかれさまっした!

もし「面白いマンガある?」って聞かれたら、オラはこのマンガを人にすすめることにしている。

山登りと、その救助隊をメインにしたお話のマンガだ。

そうして続いてきた18巻。

ラストを読んだオラの感想。

「正直よまなければよかった…」

そんな終わり方だったのが、すごく残念で、悔しい。

オラはこのマンガをすすめてきたけども、この18巻を読んだのちは、もしかしたらもう他人にすすめることはしないかもしれない。

少なくとも「17巻までにしておけ」とアドバイスするかもしれない。

それくらい、オラにとっては、この18巻はちょっと受け入れることができない内容だった。

読書メーターでは、この18巻の感想をみることができるのだけど、「残念な終わり方」という意見が多くあった。

【注意!】ネタバレあり

Q:なにが納得出来ないか?

A:主人公の三歩が山でしぬから

読んだあとで、オラはずっと考えている。

どうしてこの終わり方を作者は提示したのか。

最後の最後で、読者ががっかりするような終わり方を持ってきたのか。

読者はきっと、三歩の死ぬ姿を望んでいない。

三歩が死んで喜んだ読者は、きっと一人もいないだろう。

また、三歩が死ぬことを真正面から受け止めて「この終わり方が最高だ!」と拍手するひとも少ないのではないだろうか。

それは読書メーターの感想をみても、そう思う。

読者は「どうして三歩が死なないと行けないのか」という、戸惑いをもっていると思う。

オラも、納得ができない。

どうしてこうなったのか?と想像せずにはいられない。

◆18巻の違和感

18巻にはさまざまな違和感があるのでメモしておく。

  • 三歩はなぜ死ぬような行動をとったのか?
  • 三歩が死ぬことで読者に伝えたかったことはなにか?
  • ザックはなぜ久美ちゃんのもとから去ったのか?
  • 久美ちゃんの結婚相手にザックがならなかったのは?
  • 作者の言葉が18巻に限って存在しないのはなぜか?

どれも、すっきりとした答えが見つからない。

そこにもう一つ疑問がある。

  • 『映画 岳』について、作者の石塚真一はどう思っていたのか?

映画については、いっさい触れられていない。

小栗旬が主演を務めた映画について、原作者がいっさい触れないというのは、すこし不自然だ。

あの映画を認めていたら「面白かった」というだろう。

が、そうしたコメントは、マンガの中ではまとめられていない。

ここで、オラが思い出すのは、きくち正太のマンガ『おせん』のテレビドラマ化と、それにともなうトラブルだ。

あのテレビドラマ化のあと、きくち正太は引退を決意するほどにショックを受け、『おせん』の連載をやめてしまった。
その後『おせん 真っ当を受け継ぎ繋ぐ』として連載を再開するが、ドラマ化についてはものすごく怒っていたことが分かる。

もしかして、ひょっとしたら、そうした何かが、『岳』でもあったんじゃないだろうか?

そう考えるのは、オラの下衆の勘ぐりだろうか。

◆キャラクターの行動

三歩に限らずだけど、キャラクターの行動は、作者が決めている。

作者がマンガの話を作るわけだから、当然といえば当然だ。

だが、いっぽうで、キャラクターが勝手に動き出す、というのも、また事実としてあるそうだ。

『HUNTER×HUNTER』の作者である冨樫義博は、ストーリーの分岐点のような場面をえがくとき、まずは思考実験をくりかえすそうだ。

キャラクターたちに相談するような、「AとB」とあったら、どっちを選ぶのかはキャラクターに決めさせる。

そのキャラクターたちにあわない行動はさせない、ということがあるらしい。

そうすることで、キャラクターは自分の考えで動くような存在へとなっていく、みたいな。

今回、三歩が死ぬまでには、三歩が犯す「行動の過ち」が重なり、それによって結局三歩は死ぬわけだけど…。

もし、17巻より以前の三歩だったら、本当にそういう行動にとっただろうか?と思ってしまうのだ。

オラが思うに、以前の三歩だったら18巻のような行動はしない。

もし、仲良しの登山家が上から落下してきても、その姿にたいして手を差し伸べたりしない。
そうすることで自分が死んでしまうのを避けるために。
それが「岳」のキャップを被るきっかけのエピソードで述べられていた。
もし同じ場面になってもそうすると、だから三歩は死なないのだと、そう久美ちゃんに説明する姿があったのだ。

だから、いままでの三歩であったのなら、18巻で命を落とすことはなかったと思うのだ。
三歩の行動では「山では自分の命をまもること」が根本にあるからだ。

しかし、この18巻での三歩はそうはしなかった。だから死んだ。

キャラクターの、まさにキャラに合わない行動によって、三歩が死ぬことが、納得できないのだ。

また、キャラクターの行動の違和感は、三歩に限らず、久美ちゃんやザックについても、そうだ。

17巻まで、ザックがたしかに久美ちゃんをずっと支えてきていた。

そうした二人ではぐくんできたエピソードも、いっさいなかったコトにして、18巻は結末をむかえる。

久美ちゃんはヘリコプターのパイロット(モブ役)と結婚し、ザックはアメリカへ帰る。

なぜだ?

どうしてここまで、今までの物語を否定するような、壊し方をして、最終巻なんだろうか?

むずかしい。

これを受け入れるのが、オラには難しい。

また、18巻で三歩が死ぬことがわかってしまった今、1巻から読み返すのがとてもつらい。

三歩がいままで、どんな困難な状況でも笑顔でがんばってきた山の遭難救助の話が、ラストのあの話につながるのかと思うと、ちょっと読み返せない。

作者には、この岳の最後のエピソードを、どういう思いを込めてかいたのか知りたい。

また、それにオラが思い至れないというか、受け止められないのが、とても悔しい。

作者の描くラストと、読者が望むラストのギャップが、ものすごくある、というのが、この『岳 (18)』だと思う。

◆望むラストのかたち

もう、三歩が死ぬという最悪のラストですでに終わってしまったものについて、「望むラスト」というのも変だが、少しだけ蛇足を書いておく。

人を救うマンガという大きなくくりでいうと、似たマンガに『医龍』がある。

こちらも実はテレビドラマ化され、そのドラマ化されたものは、原作の『医龍』とは、やっぱり別物の(原作ファンからしたら原作レイプの)ものなのだけど。

それでも、この『医龍』は、原作がとてもすばらしい形で決着をみたと思う。

医龍では、スーパードクターである朝田龍太郎が、最終的に死の局面にであい、それを自分が培ってきた人たちが救い、受け継ぎ、次の世代につなげていく、というラストになっている。

岳でも、実はこうした話ができたのではないだろうか?

三歩の窮地を、次の世代の人たちが支える、という形のラストがあってもよかったのではないだろうか。

またそれは、三歩が死なないでも、次を育てることができるというストーリーが、あったのではないだろうか?

三歩のノートについてもそうで、三歩が生きているときに、山岳救助隊の人たちと情報の共有ができたのではないだろうか?

そう考えないではいられない。

今までとてもおもしろいマンガを読ませていただいた作者の方には、とても感謝している。

けども、どうしても、三歩が死んだというショックが、オラを「このマンガを読んでよかった」という気持ちにさせないのだ。

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