あたしンちが#760でおわった


よみうりしんぶんの日曜版に連載されていた、あたしンちが、きょう終わった。

連載はじつに、17年と10ヶ月も続いたという。

作者のけらえいこいわく、連載当初は主人公のひとりである女子高生である「みかん」に気持をいれながら描き。
連載がすすむうちに、母親目線になり、さらにはお父さんの目線すら、年齢を超えた。
みたいなことが、Twitterで発言されていた。
そんなまとめページもあったと思う。

まあ、それはいいよ。
作者が色んな思いをもって、描いているのは事実だろうし。
それを、読者である、オラはどう受け止めたのか、っていうことを、ここにメモしておこうと思った。

結論:空中にぶん投げられた気がした。

あたしンちは、ごくごく、一般家庭の「日常」を描いたマンガであり、基本的にはえすえふチックな出来事は、ない。

たまーに、番外編的な、江戸時代だったり、時間と空間をとびこえた話があるけども、それはそれ、これはこれで、普段のベースとなる話は、日常の話だ。

そこが、読者の「我が家でもあるある感」とマッチして、 人気になった。

が、しかし、最終回は、そうした「日常」を描いたあたしンちからは、ぶっ飛んだ内容となっている。
お母さんが、スーパーマンよろしく、エプロンをマントにして、空を飛んだのだ。

17年の連載をしたマンガとしての最終回の「落ち」はない。
お母さんを「飛ばして」終わったのだ。

よんだ直後、( ゜д゜)ポカーンとした。

い、意味が分からない。
番外編でもなく、通常のあたしンちの連載として、この「飛んだ母」で終わっていいの?

あえて言うなら、連載を終えるときに「この連載から解放される!」「わたしはもう自由だ!」というけらえいこの気持が、そのまま表現された姿が、この「空を飛ぶお母さん」とダブって見えた。

日常の延長としてのあたしンちの最終回、ではなく、空を飛んで終わる、というのは、おれとしては、少し残念だった。
願わくば、第1回に登場したような、その話との同じ地続きな感じが欲しかったのだが …。

もう、当時のマンガとは、文字通り、17年10ヶ月の歳月の差があり、内容も作者も全く別のものとして、終わってしまった感じがしたよ。

マンガの作者が、どうやって決着をつけたとしても、最終回がくれば、マンガは終わる。
たとえば、伝説的な「奇面組の最終回」のような話であっても。

「あたしンち」の、「空飛ぶお母さん」の最終回は、見ようによっては、そのくらいの妙な違和感がのこるラストだった。

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